「神を待ち望む」ルカによる福音書1章5~25節

天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。

ルカ福音書1章13節

 

アドベント、クリスマスの到来を待ち望む期間をいただいています。Aさんは障がいを持っています。彼は会堂に来るとすぐに、誰かを捕まえてお祈りをします。彼のもっとも強い願いは就職です。しかし彼は行く先々で、あなたに仕事は無理だ、誰もあなたを雇わないと言われているそうです。でも彼は信じています。どんなに周りに無理、相当難しいと言われても、自分が就職できる日を、その日が必ず来る、すぐに来ると信じています。私たちは彼から、待つこと、辛抱強く祈り続けることを学べるのではないでしょうか。今日は聖書から希望を持って待つということ、祈り続けるということを見ます。聖書をお読みしましょう。

ザカリヤはくじ引きで、名誉ある奉仕に当たります。当時の祭司は1万8000人、人生に1回当たるかどうかというくじです。新人が当たることもあったでしょう。でもザカリヤはこどもをあきらめる年齢まで、何十年もハズレを引き続けてきました。それでも待って、ようやく当たりが出たのです。天使はそこでザカリヤにこどもが生まれると予告しました。ザカリヤは今さらこどもが生まれると言われても、信じることも、これ以上待つことはできなかったのです。彼は信じませんでした。

10節大勢の民衆は外で待っていました。24節彼女は妊娠の事実を誰にもいわず、家で待ちました。今日の物語は待つことがテーマになっているように思えます。ザカリヤも大勢の民衆もエリザベトもみんな待っていたのです。この物語はすべての人が待ち、希望へとつながってゆく物語です。

私たちは祈っても、待っても願いが叶わないという時があります。私たちの教会のおいても、私たちの人生においてもそうです。どれだけ待っても、いまだ叶わない願いがあります。しかし、今日の聖書箇所によれば、もしかするとある時、その願いが叶う時が来るかもしれません。まさか私たちに、待ち続けたけれど、もうあきらめたことが、起こるのでしょうか?きっと誰にもそれを無理と言うことはできないでしょう。私たちにはきっと叶わないとあきらめてしまうもの、無理と思えるものがたくさんあります。でも私たちは無理と決めつけるのではなく、共に祈り、待ちたいのです。そしてもしそれが示されるとき、大胆にその恵みを選び取りたいのです。私はAさんの祈りを思い出します。

私たちは今日、クリスマスの到来を待つ時をいただいています。私たちがあきらめている希望はあるでしょうか。願い続けることに疲れてしまっているでしょうか。でも私たちは、希望を待ち続けたいと願います。細くても息の長い希望を持って歩みたいと思うのです。神様がきっと私たちに希望を与えてくださいます。そのことを信じ、待ち続けましょう。きっといつか神様は、希望へとつながる道を私たちに示してくれるはずです。アドベントはそれを信じる時です。