みなさん、おはようございます。今日も共に礼拝できること主に感謝します。また私たちはこどもを大切にする教会です。今日もこどもたちの声と足音を聞きながら礼拝をしましょう。
今日はこの後パーティーがあります。とても楽しみで、ワクワクしています。この後、楽しいことがあるから、説教を短くしたいと思っています。料理も楽しみだし、ゲームや出し物も楽しみです。こんなに楽しい、楽しみと思えるのは、みんなが楽しそうだからです。みんなが楽しそうにしているのを見て、なんだか自分も楽しくなります。こどもたちの声や笑顔がうれしいです。おじいちゃんおばあちゃんの声や笑顔がうれしいです。「本当のクリスマスというのはパーティーをする日ではありません、礼拝をする日です」教会はそう言ってきました。しかし、とにかく楽しむということもクリスマスにはふさわしいいのではないでしょうか。楽しい雰囲気を大事にしましょう。教会はこの礼拝と、この後のパーティーに、たくさんの人に加わって欲しいと思っています。今日、イエス様の誕生を祝いたいと思っている人、寂しいと思っている人、せっかくのクリスマスなのに予定が無い人、そのような人といっしょに礼拝し、パーティーをしたいのです。今日もし、なかなか希望を持てないという人がいたら、一緒に礼拝しパーティーしたいのです!
今日は今年1年の最後の礼拝でもあります。今年は楽しい事ばかりではありませんでした。特にウクライナの戦争に心を痛めます。戦争はまだ続いています。ウクライナからロシア本土への攻撃も始まっています。この戦争はプーチンが悪で、ゼレンスキーが正義かのように報道されました。でもウクライナに武器を提供してきた西側諸国が正しくて、ロシアが間違っているのでしょうか。そもそも戦争に正義はあるのでしょうか。正義のための戦争があるのでしょうか。きっとそんなものはありません。正しい戦争はありません。すべての戦争が間違えです。ゼレンスキーもプーチンも間違っています。
日本も軍事費(防衛費)を倍増させる議論が続いています。私たちは武器を買うために追加で毎年1兆円の税金を納めることが求められています。正しい戦争はありません。武器は必要ありません。私たちはこんなに生活が苦しいのです。武器を捨てて、鋤を持てです。私たちがしたいのは壊すことではなく、育むことです。欲しいのは武器ではなく食べ物です。政治が間違っています。自分たちは使途不明金がたくさんあるのに、国民からは軍事費をきっちり徴収するそうです。
暗い時代だと思います。お互いの軍事力に恐れを持ち、より強い軍事力が必要だと思い込んでいる世界です。息苦しい世界です。10年後、20年後の日本や世界はどうなっているのでしょうか。こんな暗い時代、息苦しい時代に希望はどこにあるでしょうか。
希望一つはこの後のパーティーが楽しいことでしょう。そして希望はこのような暗い時代の中でも、イエス様が私たちの心に光として来てくださることでしょう。今日は聖書から息苦しい時代にある喜び、イエス・キリストが私たちにあるという希望について見たいと思います。
今日はルカ福音書2章8~20節です。ルカ福音書はイエス様の誕生について事細かに記しています。しかしこれまで読んできて気づくのは、イエス様の誕生そのものについてはあまり記載がないということです。たくさんの記載があるのは、イエス様の誕生に際しての周りの人々の様子です。アドベントの期間の宣教はイエス様の誕生を迎える人々の様子を見てきました。そして今日注目したいのは、イエス様の誕生は社会情勢と密接に関係していたということです。ルカ2章1節には、皇帝からの勅令があったこと、どのような総督の時代にあったのかが記されています。この誕生物語は世界の情勢・政治と関係があると示されているのです。
先日こどもに、皇帝アウグストゥスとはどんな人なのかと聞かれました。アウグストゥスは分裂していたローマ帝国を統一した王様です。そして世界一強い軍隊を持っていた王様です。その王様は世界最強の軍隊で、支配しました。だれも逆らえない、恐ろしい力を持つことで「平和」を実現した王様なのです。つまりこれは軍事的抑止力を使ったということです。相手より強い武器を持っていれば戦争が起きず、世界が「平和」になるという考え方です。では世界最強のローマ帝国の軍事力、その費用・軍事費はどうしたのでしょうか。それはもちろん人々からの税金です。アウグストゥスはきっちりもれなく全員から、軍事費のための税金を取り立てました。そのために2節人口調査をし、税金を集めます。そのようにして「平和」を実現したのです。税金を逃れることはできません。妊婦であろうと、人口の調査の対象です。みなが皇帝アウグストゥスを恐ろしいと感じていました。戦争のための税金が集められる、行く先が見えない時代、世界情勢です。そこにイエス様の誕生物語が置かれているのです。暗い時代、暗い社会、暗い世界情勢の一筋の光として、イエス様の誕生が描かれています。
しかし、聖書からはそういった暗さは感じられません。人々の嘆きや悲しみの声は記されていません。このような厳しい戦争の時代、貧しさ、激しい税金、赤ちゃんにとっての環境の悪さにも関わらず、何か希望を感じさせる物語になっています。汚れているはずの飼い葉桶、動物用のエサ入れの周りには大きな光があり、平安があります。クリスマスの飼い葉桶を書いた絵本がたくさんあります。その絵本はどれも、飼い葉桶は光に包まれて、赤ちゃんが安らかな顔をしています。それはきっと間違えではありません。神様は暗い時代、不安な時代に、光として、平安として、私たちに希望を与えて下さいました。神様は暴力を見せつけられている時代に、救い主を与えました。それが神からのプレゼントだったのです。
羊飼いに現れた天使は10節「恐れるな」と言います。恐れるべきことがたくさんある時代です。しかし天使は「恐れるな」と言います。大丈夫だよ、怖がらないで、必ず地に平和が来るよと呼びかけています。最も恐ろしい事、それは暴力が支配する戦争です。天使はそれを恐れるなと言います。地には平和が来る、力ではなく愛が世界を支配する時が訪れるという告知です。軍事力を恐れる必要はないということです。相手の軍事力に恐ろしさを感じた人間は、より強い軍事力を持とうとします。でもそれに恐れる必要はないのです。地には平和が来ます。その光が私たちに与えられています。恐ろしい、恐ろしい、武器が必要だと言っていないで、平和を探しなさいと言っているのです。
羊飼いはベツレヘムへと旅立ちました。恐れではなく、平和を探すために旅立ちました。天使は私たちの不安や恐れに対する答えをすぐに教えてくれたわけではありませんでした。自分たちで協力をして探すように言ったのです。私たちの人生もそうです。平和を探すのが人生です。その答えは自動的に与えられるものではありません。私たちは恐れずに、平和を探すことが求められています。
天使はしるしを教えました。そのしるしは12節、布にくるまれた赤ちゃんです。布とはおくるみや、おむつです。おむつをした赤ちゃんがしるしですと言ったのです。赤ちゃんはみんなおむつをしますから、特別な赤ちゃんではありませんでした。それではしるしになりません。よく目にする光景がしるしとされました。きっとそれは神様がわたしたちがよく見る光景におられるというしるしとなっているのでしょう。さらにしるしは飼い葉桶に寝かせられているということです。
羊飼いたちは「さあベツレヘムに行こう」といって旅立ちました。しかし、どのように赤ちゃんを探したのか疑問に思います。まさかベツレヘムの家を1件1件訪ねたのでしょうか。家の外にある洗濯物、おむつが干してある家を探したのでしょうか。それがしるしだったのでしょうか。それも夜だとしたら難しいでしょう。私の想像ですが、羊飼いはきっとこどもの声を頼りに探したのではないでしょうか。こどもの声がする場所が、泣き声と足音のする場所が、赤ちゃんのいる場所でした。羊飼いは希望のしるし、平和のしるしである、赤ちゃんの泣き声を頼りに探したのです。その声をたどって、そしてようやくイエス様に出会ったのです。
私たちは今日クリスマスを迎えています。私たちには楽しみしていることがあります。暗い時代でも、私たちは楽しみ、希望を持つことができるのです。きっと私たちがそうできるのは、イエス様の希望があるからでしょう。暗い時代にあっても、恐ろしい戦争が起こる時代にあっても、私たちも「恐れるな」と告げられています。イエス様の誕生・平和という希望があると告げられているのです。
聖書によれは、それは決して特別な場所に起こるのではありません。それはありふれた場所に起こります。私たちはつらい時もしんどい時も、恐ろしいと思う時も、希望をもって生きましょう。楽しんで生きましょう。そして、その目印はこどもです。こどもたちの声のするところに希望と平和があります。私たちの礼拝もこどもの声がしるしです。私たちもこどもの声を目印に、恐れず、希望と平和を探し続けましょう。お祈りいたします。