「神はあなたを輝かせる」 出エジプト34章28~35節)

モーセがシナイ山を下ったとき、その手には二枚の掟の板があった。モーセは、山から下ったとき、自分が神と語っている間に、自分の顔の肌が光を放っているのを知らなかった。

出エジプト記34章29節

 

私たちは今月、旧約聖書を読んでいます。モーセは神様からの言葉を聞くために、シナイ山に登るように言われます。28節でモーセは山の上で四十日四十夜、主と共に留まりました。長い期間、山の上で、神と二人きりで、共にいたのです。

人間は夫婦や、家族、友人、ペットと長く一緒に時間を過ごしていると、言葉やしぐさ、考え方や物の見方、習慣、顔や表情まで似てくるものです。そのように人間は長く時間を共にすると、似てきてしまう者なのでしょう。モーセは長期間、神様と二人きりで共にいました。それだけ神様と一緒にいれば、神様に似てくるでしょうか。山から降りてきたモーセを見た人々は彼の顔が光り輝いていたので驚きました。モーセは神様との濃密な時間を過ごし、神様と少し似た顔つきになって帰ってきたのです。神様と一緒に居続けるということが、人の表情を変えてゆくのです。

私は、そのようなことが毎週の教会で起っていると感じます。私はたくさんの光り輝く顔を知っています。それがモーセと、毎週のこの教会で起きていることです。

29節によればモーセ自身は光っていることに気づいていませんでした。私たちも同じように、教会では一人一人が自分では気づかない光を放っています。しかしモーセは自分の顔に覆いをかけ、顔を隠すようになりました。本当の自分を隠し、仮面をかぶらなければいけなかったということかもしれません。34節、モーセの顔の覆いは神様の前では外されたとあります。神様の前では本当の自分が出せたのです。誰も、本当の自分の姿に覆いをかぶせる必要はありません。その光り輝く顔を出してよかったのです。私たちはその顔の輝きに、覆いをする必要はありません。教会で見せる表情や態度のまま、毎日を生きてゆけば良いのです。

私たちは神様の言葉をずっと聞いていると、神様とずっと一緒にいると、神様に似てきます。神様と長く一緒にいればいるほど、その顔は輝いてくるのです。だから私たちは神様との時間を大切にしましょう。そして豊かな表情に、恵みをいただいたその顔に、覆いはいらないのです。恵まれたその顔で毎日を送りましょう。

福音書にはイエス様も同じように、山の上で顔が輝く出来事がありました。イエス様も神様からいっぱいの光を受けて顔を輝かせていました。そして大勢の人々が待っている山の下へと下ってゆきました。山の下で多くの人に出会い、人々を励まして生きてゆかれました。礼拝の場所から、神様との出会いから、神様の言葉、光をいただき人々と出会いに行ったのです。その歩みは十字架まで続きます。私たちもそのように歩みましょう。

この礼拝で神様の言葉、光をいただきましょう。神様とずっと共にいて神様に似る者となってゆきましょう。そしてそれぞれの場所で輝いてゆきましょう。心に覆いをせずに、輝いたままの姿で、1週間を過ごしてゆきましょう。お祈りします。