「誰も置き去りにしない」ルカ15章1~7節

あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。

ルカによる福音書15章4節

 

信仰入門というテーマで宣教をしています。今日は100匹の羊と羊飼いの話をします。国連では「持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)」を掲げています。それは「誰も置き去りにしない社会」を作る目標です。大きな開発をよりも、小さくても持続可能な開発をたくさんすることが目標です。そのように世界は「誰も置き去りにしない社会」を目指しています。

「誰も置き去りにしない社会」と聞いて、置き去りにされた1匹の羊をめぐる物語を思い出します。聖書は2000年前からSDGs、誰も置き去りにされない社会を訴えていました。しかし、そのような社会はこれまで実現できずにいました。今日は聖書から誰も置き去りにしない社会と、生き方を見てゆきたいと思います。

ある時、羊飼いと100匹の羊がいました。しかし羊飼いは羊を1匹見失ってしまいました。これでは羊飼い失格です。しかし羊飼いは間違えを犯してもやはり100匹の羊飼いです。羊飼いは99匹の羊を野原に置き去りにして1匹を探しにいきます。それは非合理的ですが、羊飼いは1匹を探しに出かけます。羊飼いは1匹でも、置き去りにしないのです。羊飼いは羊を見つけ出し、再び仲間に加えます。

この物語から私たちの社会、私たちの生き方について考えます。私たちの社会は1匹を置き去りにしてしまう社会です。多数を優先し、少数者・マイノリティーを置き去りにしてしまう社会です。私たちはこの物語を通じて神様から、誰かが置き去りにされていないか注意を促されています。

この羊飼いと私たちを重ねます。私たちはいつも1匹を見失ってしまう存在です。でも羊飼いの仕事は1匹も置き去りにしないことです。99匹を説得することです。私たちも一人も取り残さない社会を目指してゆきましょう。

私たち自身を99匹の羊と重ねる読み方も大事です。私たちはいつも自分を多数派、自分が普通、自分が優先されて当然と思ってしまう存在です。そうではなく私たちは1匹のために多少の危険や遅れを引き受けてゆきましょう。

私たちは誰一人置き去りにしない社会、世界、家族、教会を願い求めてゆきましょう。羊飼いのように1匹を見失わないようにしましょう。もし見失ってしまってもその1匹を一生懸命に探す者でいましょう。そして99匹のように、1匹のために足を止め、待ち、共に100匹となってゆきましょう。私たちがいる、それぞれの場所で、そのような人がいないか、私たちはよく見つめて1週間の生活をしましょう。それがキリスト者の生き方ではないでしょうか。お祈りします。