「愛と平和の祈り」マタイによる福音書6章9~13節

御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく 地にもなさせたまえ

マタイによる福音書6章10節

 

主の祈りをテーマに宣教しています。今日は沖縄訪問の話を聞き、絵本を読みます。今日は平塚大空襲があった日です。平和についてこの祈りから考えましょう。

「御国が来ますように」。御国は「おくに」ではなく「みくに」と読みます。神様の支配が世界の隅々までありますようにという祈りです。神様の愛と平和が世界のすみずみまで支配するようにという祈りです。

78年前の戦争は御国(みくに)のためではなく、御国(おくに)のためでした。その中心は天皇でした。御国(おくに)のため、天皇の支配のために多くの人が殺されました。結果は証しと絵本のとおりです。沖縄では残酷な地上戦が行われました。人々は這いずり回って逃げました。命が宝だ「ぬちどぅたから」と言い合い逃げました。天皇の支配する国、力と暴力の支配の恐ろしさがわかります。それはまるで神様の支配する天とは正反対の地獄です。

もし私たちがあのガマ・洞窟で主の祈りを祈ったらと想像します。主の祈りをガマで祈ったとしたらきっと一番力を込めるのは「御国が来ますように。御心が天になるごとく地にもなさせたまえ」です。神様に求める御国(みくに)とは天皇の支配する御国(おくに)ではありません。天皇の支配ではなく、アメリカの支配でもなく、力と暴力の支配ではなく、神様の愛と平和を求める祈りです。平和な世界が来ますように。愛にあふれる世界が来ますようにという祈りです。

祈りは「御心が天になるごとく地にもなりますように」と続きます。御心とは神様の意思、神様の願いのことです。七夕の短冊には自分の願い事を書きます。しかしキリスト教の祈りは神様の願いが叶いますようにと祈るです。

「天になるごとくに地にもなさせたまえ」の「天」とは神様の愛と平和の支配が行き渡っている場所です。死後の世界ではなく、私たちが今生きている地上が、力と暴力が支配するこの地上が、天のように、愛と平和で満たされるようにという祈りです。この地上が天国のようになって欲しいという祈りです。様々な力と様々な暴力がこの地上を支配しています。そんな世界だからこそ私たちは祈りましょう。この地上があの天のように、神の愛と平和で満たされてることを祈りましょう。今私たちが生きる、この場所が天、神の愛と平和で満たされた場所となるように祈りましょう。今この祈りが本当に必要とされています。

「なさせたまえ」は神様が実現してくださいという意味です。しかし私たちは神様にお任せして、何もせず待つだけではありません。「なさせたまえ」にはそのために私たちを使ってくださいという意味も含みます。待つだけではなく、私たちを御心を地上で実現させる者と「なさせたまえ」という願いを含んでいます。

私たちはこの祈りをどのように祈るでしょうか。それぞれの場所で御国と御心を祈り、そのために働きましょう。一緒に主の祈りを祈りましょう。