「教会の境界線が変わる」ルカ14章7~14節

宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。

 

ルカによる福音書14章13節

 

 聖書教育の発行回数の変更をきっかけに、教会員以外の方にも週報棚ができました。教会にとって大きな変化です。社会でも所属意識が変化しています。教会の境界線はどこにあるのかを疑問に思っています。ある数学のモデルが参考になるかもしれません。右に2つの図があります。左側のこれまでの教会はAさん・Dさんと、Bさん・Cさんは、はっきりとした境界線で区切られていました。誰がメンバーで、誰がそうでないかはっきりとしていたのです。しかし右側のモデルは違います。この共同体の境界線はアメーバのように変化します。いままで外側の人であったCさんはメンバーの中におり、Cさんを受け止める柔軟さがあります。Bさんは引き続き違う人です。Dさんは今まで同じと思っていましたが、実は境界線上にいる人です。大事なのは真ん中の点です。そして大事なのはその点に近いか遠いかではなく、その点を目指しているかどうかです。この共同体は、中心の点から多少距離が離れていても、その人を取り込むように組織の形を変えることができます。この図は教会の新しい境界線に示唆を与えてくれます。

今日はルカによる福音書14章7節~14節です。この個所は私たちに変化を求めている箇所です。柔軟に境界線を変えようという話です。特に後半を見たいと思います。私たちは誰を招くかが問われています。聖書によればこの人たちがまっさきにパーティーに招きたいと思ったのは気心の知れた仲間と、価値観が一緒の仲間です。そこにお金持ちや有力な人が入ると組織に箔がつきます。

しかしイエス様は言います。もしパーティーを催すときには、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人を招くようにと。私たちが招く人を変えるようにという教えです。このパーティーは教会と言い換える変えることができるでしょう。イエス様は誰をこの共同体に招くのかという境界線を見直すように言っています。そこには私たちが今まで思ってきた招きと違う招きがあるはずです。

私たちは価値観も違う、血縁もない、たいして金持ちでもない集まりです。でも私たちは今日神様に集められています。お互いに人生に困り、疲れ、悩み、不自由を感じています。その私たちを神様が今日集めて下さったのです。私たちは今までの境界線を変えることができます。イエス様はそのように私たちに伝えているのではないでしょうか。お祈りします。