「愛の実践を伴う信仰こそ大切」ガラテヤ5章2~15節

キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。 ガラテヤ5章6節

 

今日は収穫感謝礼拝です。私は農薬を使わないオーガニックコットンの服をなるべく選んでいます。綿は非常に多くの農薬を使います。世界の農薬の7%が、綿の生産のために使われていると言われています。農薬や化学肥料に頼りすぎた農業をすると土壌はやせてゆきます。農薬はそれを使う農家の健康にも負担があります。

私の服の選択肢は無数にあり自由です。しかし私の着る物が誰かの負担や犠牲のもとに成り立つのなら、私はそのような服を着続けたくないと思います。できれば少しでも生産者の負担や犠牲が少ない商品を選択したいと思います。

私たちの着るもの、食べるもの、生活はすべて、誰かに支えられています。好みのもの、安いものを選ぶだけではなく、生産者を考えて商品を選びたいと思います。今日は収穫感謝礼拝です。この収穫を神様に感謝しましょう。そして、その収穫を支えている人が、誰かの犠牲になっていないかにも思いを巡らせたいと思います。そして私たちは精一杯の愛の選択をしたいと思います。神様はきっと一人一人が愛の選択をする、その方向へと世界が進んでゆくことを願っておられるはずです。

今日の聖書の個所を読みましょう。ガラテヤ教会の一部の人は、信仰を持ったなら、ユダヤ人の習慣である割礼(男性の性器の皮を切る儀式)を当然すべきだと言いました。しかし割礼は受ける人にとって大きな負担です。ガラテヤ教会が割礼のことで揺れていました。そこにパウロから手紙が届きました。

パウロは手紙の中で6節「愛の実践を伴う信仰が大切」だと訴えています。割礼の有無よりも、私たちの生き方が大事ということです。他の人が自分と同じか違うかということよりも、お互いが愛をもって生きることが出来ているかどうかが大事だということです。これは私たちにも語られていることです。

私たちに一人一人にとって、愛の実践を伴った信仰を持って生きるとはどんな生き方なのでしょうか?私たちは何を着るか、何を食べるか自由です。私たちは自由に生きるように神様に示されています。他の人と同じ選択をする必要はありません。

ただ私たちの自由は罪、誰かを傷つけるものとなっていないかも考える必要があるでしょう。自由に生きるからこそ、他者を傷つけないこと、他者を愛することを忘れないようにしましょう。愛によって互いに恵みがあるようにしましょう。人と地球にやさしい物を選ぶことは、本当に小さな選択かもしれません。でもその小さな愛の選択が私たちの世界を少しずつ変えるはずです。

14節、隣人を自分のように愛す、これが律法全体、聖書全体を表す言葉です。私たちの生活を支える誰かを犠牲にしない選択をしましょう。それが愛です。15節、世界がお互いによって滅ぼされないように祈ります。私たちが自分だけ良ければよいと思う時が、世界が共食いを始める時です。私たちは収穫を神に感謝し、愛のある選択をしましょう。神様からいただいた収穫に感謝します。お祈りします。