「そばにいる神」ヨハネ7章25~31節

わたしはその方のもとから来た者であり、

その方がわたしをお遣わしになったのである。   ヨハネ7章29節

 

ふじみ教会で「最近、平塚教会を身近に感じる」と言ってくださる方がいました。うれしかったです。みなさんには最近になって身近に感じると思ったことはあるでしょうか?ふじみ教会、根塚さん、神学生、横須賀長沢教会も身近に感じるようになったことです。遠くにあると感じていたものを、身近なものとして感じるようになるという体験は神様と私たちの関係にもよく似ていると思います。神様から遠いと思う場所にも、神様は必ずいてくださいます。神様は私たちみんなの身近に、私たちみんなのそばにいてくださるお方です。そばにいるよという言葉は、愛していると同じ意味です。神様は私たちを離れず、そばに、身近にいてくださいます。

今日の聖書の個所を読みましょう。エルサレムの人々は私達よりも何百倍もイエス様のことをよく知っていました。そして、こんな身近に救い主がいるはずないと思いました。救い主はもっと劇的に登場するはずだと思ったのです。その感覚は私もわかるような気がします。しかし、イエス様はそれに対して28節大声で話をします。「みんな私のことは知っていると思いますが、みなさんは神様のことはまだまだ知らないはずです」群衆はこの言葉に怒りました。お前は私たちが思うような神ではない、お前には救い主らしさが無い。神から来たものとは、もっと神秘的で、特別なはずだ。神はこんな身近ではないと思ったのです。

しかし、救い主はそうではなく、身近な存在でした。イエス様が知っていて、エルサレムの人が知らなかったこと、それは神は身近な存在だということです。神様は近くにいる。そばにいる。身近にいる。みんなのそばにもう来ている。それがイエス様が伝えようとしたことです。イエス様が伝えた希望、それはこんなところに神はいないと思う場所にこそ神がいるという希望、神がそばにいるという希望でした。

クリスマスはまさしくそのような出来事です。クリスマスはこんな場所に生まれるはずがないと思う、貧しい、汚い場所で起きた出来事です。私たちはどこに神様がいるのか探すでしょう。光り輝く場所に神がいると感じるでしょう。でもそこだけではありません。暗い場所、悲しいことが起きている場所、私たちのよく知っている場所に神様はいて下さるのです。神様はそのようにしてみんなのそばにいるのです。

神がそばにいてくれる、そのことを心強く思います。そして私自身も誰かのそばにいて、人を愛し大切にする存在でありたいと思います。この教会自身も地域にそんな存在であって欲しいと思います。地域のそばにいる教会、地域を愛し大切にする教会でありたいと思います。そのようにして今週も互いに愛し合い歩みましょう。

これから私たちはパンを食べます。神を一番身近に感じる方法はパンを食べるという方法です。私たちが食べるパンは、神様の体を象徴しています。それが私たちの体を巡ります。これほど身近な神体験はないでしょう。この後の主の晩餐で、私たちはこのパンを食べて、神様を身近に感じましょう。お祈りをします。