「お互いをほめ合う教会」ヨハネ福音書5章41~45節

わたしは、人からの誉れは受けない。 ヨハネ5章41節

 

教会で互いをほめ合っている様子をよく見かけます。ほめることは関係を良くするだけではなく、その言葉を受けた人を積極的にします。それぞれの1週間は怒ってばかりだったかもしれません。でも日曜日に互いをほめ合うように、次の1週間はもっと他者を認め、ほめたいものです。ローマ12章10節に「兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」とあるとおりです。

特に教会が大切にしていることは神様をほめるということです。神様をほめるとは、神様のすばらしさが言葉や歌などで表現されることです。教会では神様のすばらしさが語られ、賛美の歌が歌われています。そしてほめているのは、私たち人間だけではありません。神様も私たちほめて下さるお方です。今日はほめることをテーマに聖書を読みたいと思います。

41節でイエス様は「私は人からの誉れは受けとらない」とあります。どんな意味でしょうか。この言葉から私は十字架を連想しました。十字架の死は屈辱の死でした。ほめられることとは正反対、罵られて死にました。イエス様はこのようにほまれを受け取らなかったのです。アドベントに読んで、イエス様の誕生も連想しました。どこにも泊まる場所のない母マリアは、馬小屋で出産をしなければなりませんでした。社会の隅に追いやられて出産したのです。私は誰かを十字架に架けるのではなく、互いを認め合い、ほめ合いたいと思いました。そして誰かを、母や子を隅に追いやるのではなく、受け止めたいと思いました。私はこのようなイエス様の十字架や誕生の、不名誉や抑圧を二度と私たちの社会や生活で繰り返したくありません。この個所は互いを拒絶するばかりではなく、もっと認め合い、ほめ合おうと伝えているのではないでしょうか。

44節を見ましょう。「あなたたちは唯一の神から誉れを受けようとしない」とあります。ほめるのは私たちの側だけからではありません。神様も私たちをほめるのです。私たちはすでに唯一の神からほめられているのです。私たちは、あなたは頑張っている、すばらしいとほめられています。神様はちゃんと私たちを見ているのです。そしてそのほめ言葉をあなたに受け取って欲しいと思っているのです。私たちは神様がわたしたちをほめている、その言葉を受け止めましょう。

神様からほめられ、それを受け入れるなら、私たちはもっと積極的になることができるはずです。これをやろう、もっとやろうという気持ちがわいてくるはずです。そして私も他の人のよいところをもっとほめようと思う様になるはずです。私たちは、神様にほめられています。だから自信をもって歩みましょう。そして私たちが互いをほめ合う様に、神様のこともほめたたえましょう。

今日、神様をほめる、祈りと賛美を神様にささげてゆきましょう。そして私たちは互いにほめ合いましょう。神様が私たちをほめてくださっています。私たちも神様をほめ、互いにほめ合いましょう。お祈りします。