「地域に仕える教会」マタイによる福音書19章1節~12節

あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。

マタイによる福音書23章11節

 

私たちは「地域と福音」というテーマでみ言葉を聞いてきました。教会は毎週木曜日10:30~12:00、教会の「こひつじ館」を「こひつじひろば」として開放しています。誰でも集える無料の子育てスペースです。特にコロナ禍の中では地域に必要とされるものになりました。公共施設の多くが使用できなくなる中で、教会の庭や会堂のこどもスペースの開放に、多くの人がここを必要として集いました。

こひつじひろばの活動や特徴は、私たちが地域とどう関わろうとしているのか、どのように隣人になろうとしているのかをよく表しています。私たちは地域の必要に応えているということです。そして話を聞くことが中心だということです。教会は地域との関係を上下関係でとらえず、教える側、提供する側、救う側になるのではなく、対等な相互関係としてとらえて活動をしています。私たちの地域活動は、必要に応えてゆくこと、人々の声を聞いてゆくことを、大切にしているといえるでしょう。今日の聖書箇所を読みますが、私はこの個所から神様が教会は地域に必要に応え、仕えなさい、具体的に働きないと語り掛けていると聞いてゆきたいと思います。

今日の箇所、宗教指導者の中には身に着けるものの形を大きくする者がいました。それは宗教指導者と民衆の上下をはっきりさせるものとなりました。宗教指導者と民衆が対等ではなくなってしまっている、イエス様はその関係を批判したのです。これは誰への批判でしょうか。私は私たちのキリスト教の教会をこの宗教指導者たちに重ねます。教会は地域と上下関係にあるのではない、対等で相互的な関係にあると、私はここから聞きます。教会は上から目線になってしまうことがあります。教会と人々が対等で相互的な関係であることをイエス様は語ったのだと思います。

そしてイエス様は続けてもう一つ批判をしています。宗教指導者は教えていることは正しいが、自分は何もしないという批判です。聖書は「行為よりも信仰が大事」とばかり語っているわけではありません。行動に移すことが重要だと語る場面も多いのです。イエス様はここで私たちの教会の姿について、二つの批判をしています。上下関係になるなということ、そして実行しない者になるなということです。

イエス様は禁止の命令と共に、11節で「仕える者になりなさい」と命令します。聖書の言葉(ギリシャ語)では仕えることを「ディアコニア」と言います。仕える(ディアコニア)はもともと食事を運ぶという意味です。ですから仕えなさいとは教会が地域から尊敬される教えを語るだけではなく、一緒になって働くことです。

地域と福音というテーマで聖書を読んできました。私たちは人々の声を聴き、一緒によい世界を実現してゆくことを願い、働きます。そのようにして地域の人々の「隣人」となってゆくことができるのです。

地域と対等な関係で、必要に応えてゆく。仕えてゆく。そこから必ず福音が聞こえてくるはずです。地域に仕えましょう、互いに仕えましょう。お祈りします。