日本語は難しい

日本語には同音異義語(同じ音読みで、意味が違う熟語)が多くある。「医療」と「衣料」、「信仰」と「侵攻」、「園芸」と「演芸」などは聞き違えると話が通じないことがあるが、これらはまだ話の前後の文脈でまず間違えることはない。

 しかし、意味の区別がつきにくい同音異義語も多くある。例えば、「以外」と「意外」、「異常」と「異状」、「保障」と「保証」、「清算」と「精算」。違いが分かりますか?難しいですね。「以外」はそれよりほか、「意外」は思いのほか。「異常」は普通でないこと、「異状」は普通と違う状態。それでは「いじょうなし」と書く場合どちらを書くでしょうか?「保障」は安全をうけあう、「保証」は確かさをうけあう。「清算」は始末をつけること、「精算」は計算をし直すこと。

 日本語の難しさはまだある。たとえば、川端康成がノーベル文学賞を受けた時の記念講演の題は「美しい日本の私」でした。「美しい」が「私」ではなく「日本」にかかると解釈するのは、自分をほめるはずはないという日本人の社会通念からであって、そう解釈するのが一般的であろう。しかし文法的には「美しい」のは「私」だと解釈できる。まあ、そんな人はいないでしょうが……。しかし「私」でなく「女性」であれば、「美しい」は「女性」にかかると多くの人は解釈するだろう。

 日本語の難しさはまだある。「私が好きな人」は二つの意味に読み取れる。文字どおり「私が」「好きな人」と、「私」のことを「好きな人」とも読み取れる。「娘の写真」も幾通りも解せる。「娘」が撮影した「写真」、「娘」の所有する「写真」、「娘」が写っている「写真」。う~ん、なるほど。

 聖書にも同じような例が多くある。有名なのが「信仰義認論」の重要な聖句「イエス・キリストの信仰(ギリシア語直訳)」(ローマ3:22)である。「の」を主格的にとって「イエスがもっていた信仰」とするか、対格的に取って「イエス・キリストへの(に対する)信仰とするかは論争されている。あなたはどちら?

 *朝日新聞2014年6月7日土曜版のコラム記事を参照。