シュウカツ?

「シュウカツ」?学生たちを悩ませ、かつ懸命に頑張っている「就活」、就職活動のことではない。「終活」、人生の終わりをどのようにするか、生前の活動のことである。今静かなブームだそうである。遺産相続のことから始まって、遺言のこと、自分のお葬式のこと、お墓のことなどを生前に考えておく。それはそれで大切なことである。

 よくある相談で、「キリスト教に入信したいけど、障害がある、どうしたらよいのでしょうか」というもの。その障害とは、先祖代々のお墓のこと、仏壇のこと、お葬式のことである。しかし、今そのお墓のこと、仏壇のこと、お葬式のあり方が激変している。それは現代人のものの考え方、見方の変化を表わしていると考えていいだろう。

 朝日新聞7月30日朝刊の一面トップに、「無縁化 さまよう墓」の大見出し。先祖代々受け継がれてきた墓が受難の時を迎えている。墓守が絶えた無縁墓から撤去された墓石は、慰霊の場を離れ、さまよう。人里離れた山中に、“墓の墓”が現れ、不法投棄も後を絶たないと、ある。

 それは、都市部への人口流入と地方の過疎化、少子高齢化、未婚化、核家族化などの社会の急激な変容がお墓を追い詰める。自治体は無縁墓の撤去を進める一方、血縁に頼らない新たな墓のかたちを模索する、という。

 日本の宗教は基本的には先祖崇拝である。家の宗教として継承する。それに乗っかって日本的な仏教が広く形作られてきた。その象徴が仏壇であり、お墓なのである。その根本的なところ、祖先の祭祀を主宰する者が継承することを前提とするシステムが時代に合わなくなってきた。「墓は社会のありようを映し出す」とある大学の教授が言うように、お墓や仏壇を守り、継ぐ者がいないケースが増えてきたのである。

 ところで、クリスチャンの場合はどうなるのか。クリスチャンの「終活」は天国への準備であろう。しかし、それは「終活」だけのことではなく、まさに今、どう生きるかの問題である。天国から今という時を考えることである。 

平塚バプテスト教会

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