伝道と宣教

教会の使命(ミッション)は伝道です。その「伝道」をめぐる定義の一つにこうあります。「伝道とは、教会がキリストの福音を持って人々に接触し、その福音によって人々が悔い改めキリストを救い主として受け入れるように導くわざである」。

 伝道の主体は「教会」です。そして、その教会の働きの最も重要なものは伝道です。教えない学校、治療しない病院などありえないように、伝道しない教会もありえません。

 教会はそのようにして伝道のために存在している、と同時に伝道は何のためになされるかと言えば、教会を形成するためにこそ、とも言えるのです。教会なくして伝道なし、伝道なくして教会なしであって、この二つは表裏一体です。

 ところで、伝道と同じような使われ方をする「宣教」という言葉があります。しかし、伝道とちょっと違います。宣教は主イエスが地上で行ったこと。マタイ福音書に「会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いを癒された」(9:35)とあります。教育、伝道、福祉(医療、施設)、これが宣教。宣教のほうが守備範囲が広い。教会はこの宣教のために「地の塩、世の光」として地域に仕えていくのです。

 宣教の働きを地域で進めていくためには、主イエスの生涯が、人々のため(for)にではなく、人々と共に(with)であったという事実から学ぶべきでしょう。教会の地域での実践は、コミュニティの中にあって教会員のみならず、人々の地域的ニーズを充足させ、同時に人々の人間的成長を支えるものであることが求められるでしょう。これは直接伝道とは一線を画した「福音のパントマイム(無言劇)」、生活と行動を通じて、コミュニティ形成の仲間となることです。

 地域に開かれた教会、地域に仕える教会は地域とともに、仲間になることが求められているのです。