悪魔の笑い話

新しい年を迎え、気分もリフレッシュ。「笑う門に福来る」。今年もユーモアを忘れずにいきたいものだと思い、『福音と笑い これぞ福笑い』(山北宣久著、教文館)を本棚より引っ張り出して読み始めた。ところが笑えるようで笑えないビミョーな話も多くあった。いくつか紹介したい。

 悪魔についての名(迷)言集。
「悪魔は悪しか行えないがゆえに純粋である」(J・コクトー)
「我々の心の中の悪魔には『仕方がない』という名がついている」(G・ベルナノス)
「悪魔は私たちを誘惑しない。私たちが悪魔を誘惑するのだ」(G・エリオット)
「悪魔は歓迎されないところには決して出向かない紳士である」(A・リンカーン)
「私は自分の中に悪魔を感じるがゆえに、悪魔の存在を信じねばならない」
「悪魔の最も巧みな策略は、彼が存在しないと我々に信じさせることだ」(C・ボードレール)
「悪魔に首筋をつかまれていても、さっぱりご存知ない手合いでね」(「ファウスト」)
「悪魔とは微笑を持たない信仰、自ら疑うことを知らない真理のこと」(ウンベルト・エーコ)。

 次は「悪魔の派遣」と題するお話。
 悪魔の子分たちが修業期間を終え、いよいよ地上に派遣されることになった。悪魔の親分は、彼らが地上でなそうとする計画・作戦を派遣に際して報告させた。

 一番目の子分、「私は人間どもに『神なんかいない』と教え込みます」。答え「そんなことではわずかな人間しか誤魔化せない。神がいるとうすうす思っている連中は多い」。

 二番目の子分、「私は『地獄などない』と教え込みます」。答え「それは何の効果もない。罪だらけの人間どもは誰に教え込まれなくても、罪の結果は地獄だと知っている」。

 三番目の悪魔、「私は『イエスを信じることは良いことだが、急ぐことはない』と教え込みます。答え「それは良い。そのとおりだ。ただちにその計画を実行せよ。おまえたちはきっと多くの人間どもを滅亡させることができるだろう。満足じゃ」。

 笑えましたか?