責任論

責任ということを考えるとき、二つの要素がある。他人の責任と自分の責任。とかく物事がうまくいかないと、とりあえず他人のせいにしてしまう人が多い。世の中の景気が悪い、社会が悪い、政治が悪い、などと他人の責任を追及する。しかしよく考えてみると、自分に起こった問題の多くは自分に原因があるものである。

 それを自覚して生きた人もいる。米国のトルーマン元大統領は自分の執務室のテーブルの上に「the buck stops here(すべての責任はここで止まる)」という言葉を置いていたという。自分で責任を取るという決意である。この自責という意識が非常に大切であろう。

 人を指差すとき、五本の指はどうなっているだろうか。人差し指で人を指したとき、指三本は自分を指している。そして一本は上を指している。この指の形は何を象徴しているだろうか。これは人を責めることが一つあるなら、その三倍は自分に責任があるということ。自分で三倍犠牲を払いなさいということである。そして、もう一つ大切なことは上を向いている指が一本あるということ。それは、神に最終的な責任を仰ぐということを意味している。責任ということを考えるとき、そういう三つの要素で考え、自らも犠牲を負うということを忘れてはいけないだろう。

 失くし物をした時、日本のことわざに「七度探して人を疑え」ということわざがある。責任を問う場合はそのくらい慎重にしなければいけないだろう。四本の指を全部自分に向けて、親指だけを上に向けると、これはうまくいくという表現になる。自分を犠牲にするのを最大限にして他人に対して責任を問うことをやめると、うまくいくということだ。

 *『聖書力』(中野雄一郎著)112‐114p要約して引用。