人生を語る言葉の重さ

朝日新聞の夕刊に楽しみにしている連載がある。それは「人生の贈りもの わたしの半生」である。著名人がインタビュー形式で自分の半生を振り返りつつ語るものである。先週は写真家・作家の藤原新也さん(71歳)であった。

 家族論から母と娘の関係について、次のように答えている。「…かつては大家族制の中で子育ては母親一人が負うものではなく、大家族の周りには地域社会があり、隣のオッサンですら子育てに参加していた。さらに地域の外周には自然があった。今ではその外周は欲望を喚起する商業社会に変わり、子供を狂わす。おまけに父親は女性化し厳父慈母の気風はなくなり、核家族という家族の最小単位すら維持できていない家族が出現した。そんな身ぐるみを剥がれて孤立した母子が正常でいられるわけはない」(8月10日)。現代日本の家族の在り方を考える時、教会という地域における信仰共同体の果たす役割は大きいと思う。

 翌日には次のような世代論というか人生論も語っている。「人には“いただく”年季と“返す”年季があるのではないかと、最近思いはじめている。つまり、人が育つ過程で他者からの愛情を含めさまざまな果報をいただく年代と、その溜め込んだものを他者に返す年代ということ。……逆に言えば60歳を過ぎてもなにも他者に返さない人生というのは精神衛生上よくない。いまの大人は返さないから。いただいたものを返して差し引きゼロとなって死ぬのがいちばんすっきりする」(8月11日)。何と含蓄のある言葉ではないか。思わず、そうだよなと相づちを打つ。

 次は写真論。「文章、音楽、絵と様々なメディアがあるが、写真というのは、対象が存在しないと成り立たない特異なメディアです。つまり外部との関係性が常に求められる。そういう意味では、他者や外部と切り結ぶことが苦手になりつつある世代にとって厄介なメディアですね」(8月12日)。人生も他者との関係性抜きに生きられない。