何もないなんて言わせない

先日、コンビニに立ち寄ったら、雑誌売り場に「何もないなんて言わせない。平塚本」という大きな文字が飛び込んできた。ネーミングに惹かれて思わず買ってしまった。コンビニで雑誌なんかめったに買ったこともないのに…。『平塚本』(枻〈えい〉出版社2016年925円)。

  「何もないなんて言わせない」のだから、平塚の街のことがいろいろ分かるだろうと思って、さっそく読んでみた。面白くて興味を引くところがあったら行ってみるのも面白いと考えたからである。何しろ身近で気軽に行けるのがいい。
  
  確かに、名店、名産・逸品、七夕、湘南ベルマーレ、地産地消の紹介、平塚の歴史、風景など、めぼしいところは網羅してある。しかしである、だからなに?平塚。どうってことないじゃん、平塚。どこにでもあるものばかり。ないとは言わないけど、だからどうなのっていう読後感。

  歌手・吉幾三さんのヒット曲「俺ら東京さ行ぐだ」は「テレビも無エ ラジオも無エ 自動車もそれほど走って無エ ピアノも無エ バーも無エ…電話も無エ 瓦斯も無エ…喫茶も無エ 集いも無エ…薬や無エ 映画も無エ…」と、何にもないこんな村は嫌だといって東京へ行くという内容。その意味では、平塚は「何もないなんて言わせない」街ではあるだろう。

  でも、考えてみるに、何にもないと歌った吉幾三の村も豊かな自然と歴史、そこに営まれる豊かな生活、人間関係、習慣、祭りなどはあるだろう。ないからこそ味わえるものもある。静けさ、のどけさ、澄んだ空気・水…。ないことはない。どこに価値を置くかの違いである。

  人もしかり。有名無名を問わず、誰にでも「何もないなんて言わせない」ものがある。よく言われることに、「誰にでも一冊の本は書ける」と。それはその人のかけがいのない人生があるのだからそれを書けば本になるということだ。そこにドラマがあり物語ある。神の言葉に照らして、自分の物語を語ってみよう。それが証し。何もないなんて言わせない。