高齢社会と2025年問題

何歳から高齢者と呼んだらいいのだろう。敬老の日を前に少し悩む。私たちの教会では70歳以上と決めた。内閣府の意識調査によると、2014年では70歳以上がトップだが、わずかの差で75歳以上が続き、さらに少しの差で80歳以上が続く。ある教会では80歳以上の方にお祝いを差し上げると聞いた。あり得る判断だと思った。

  ところが、1999年では70歳以上が断トツのトップだが、次に65歳以上だと考える人が多かった。日本老年学会は「現在の高齢者は10~20年前に比べて5~10歳は若返っている」と発表している。国民の意識と一致する。

  昔の童謡「船頭さん」は「村の渡しの船頭さんは/今年六十のお爺さん…」と歌う。少し前までは60歳はもう立派な高齢者。だから定年退職は55歳であった。それが60歳になり、今は実質65歳定年が増えている。併せて、年金支給開始年齢も60歳から65歳に引き上げられた。このように猛スピードで高齢社会から超高齢社会へと日本は移行している。世界に前例がないという。

  このような状況が2025年には「団塊の世代」が全員75歳を超えて、国民の5人に1人に達し、医療、介護、年金などの費用が急増し、社会保障制度が行き詰まる、というのだ。これを「2025年問題」という。この言葉を聞くたびに、「団塊の世代」の一人である私は、ちょっと不快な気分になる。なぜなら、そんなこと今さら言うなんて、統計上はとっくに予想できたこと、想定外とは言わせない。だったら早くから対策をすべき、それが政府の仕事だろう、と言いたくなる。それに「問題」と言われると何か長生きすることが悪いみたいに聞こえる。それは75歳以上の者が「後期高齢者」と呼ばれてなんとなく不快に感じるというのと同じであろう。

  いずれにしても、高齢者が尊敬され、大切にされる世の中であってほしい。いずれは我が身である。箴言に「白髪は輝く冠、神に従う道に見いだされる」(16:31)とある