【全文】「神はウブムエして下さる」ヨハネ6章41節~59節

 

 みなさん、おはようございます。今日も共に礼拝が出来る事に感謝です。私たちは子どもを大切にする教会です。共に、子どもの声を聴きながら礼拝をしましょう。そして私たちは8月、平和をテーマに礼拝をしています。先週は「平和の食べ物」平和を求めながら、イエス様を求めながら、食べ物と生きる道を求めてゆこう、それがシャロームにつながるという事を話しました。今日はアフリカのルワンダ共和国で和解の働きをされている佐々木和之さんの報告を元に、聖書から平和を聞いてゆきたいと思います。

佐々木和之さんは東アフリカにあるルワンダ共和国で、和解のプロジェクトをすすめています。ルワンダは東アフリカにある、小さな国です。95%がクリスチャンというキリスト教国です。しかし1994年ルワンダでは大虐殺事件がありました。100日間で80万人、人口の約一割が殺される大虐殺事件が起こりました。きっかけは大統領の暗殺でしが、虐殺の背景には植民地時代に植え付けられた分断と差別と憎悪がありました。

分断と差別は一般市民が、一般市民を殺す、隣人が隣人を殺すという虐殺事件を生みました。26年前の出来事です。虐殺が収束した後、ルワンダの社会や地域が元の状態に戻ることは容易ではありません。市民による虐殺によって、多くの市民が刑務所に入りました。街に残されたのは、虐殺から生き残り傷ついた被害者と、家族が虐殺に加わったという加害者の家族でした。

元々農民だった人々は簡単に引っ越すわけにはいきません。虐殺後もなおも被害者と加害者の家族が隣に住むということも多くありました。

被害者と加害者。もう共に生きる、助け合って生きると言うことは本来できない関係です。しかし今ルワンダでは両者がどのように共に生きるかを模索しています。多くの人々がまだ平和を探し求めています。そしてその中で和解と平和のために働いているのが、佐々木和之さんです。彼は洋光台バプテスト教会の教会員でもあります。

私は佐々木和之さんを支援する会の事務局の仕事を引き受けている関係で、皆様にも会報「ウブムエ」をお配りします。ぜひ支援の輪に入って下さい。今日はこの中から一つのエピソードウムチョ・ニャンザの支援をご紹介します。

ウムチョ・ニャンザとは虐殺事件の生存被害者である女性たちと加害者を夫に持つ女性たちが共に働く女性協働グループです。ブックカバーを購入されたことのある方も多いいでしょう。被害者と加害者の家族が同じスペースで、協力して、物を作り、それを売り、自分達の生活を再建しようとしています。もちろん様々な葛藤があります。しかし分断され、殺し合った過去を超えて、ともに生き、一致し、生活を再建しようと働いているグループです。その活動を支援しています。ウブムエには、コロナの中でどのようにウムチョ・ニャンザ―のメンバーが一致し、助け合ったが報告をされています。1ページ目の右下です。

 

“夫が虐殺加害者として刑務所にいるエレナさんは、普段なら他の人の農地で働くことで生活の糧を得ています。彼女は、ロックダウンが始まってから仕事がなくなり、子どもたちに食べさせる食料も尽き、途方にくれた時の様子を語りました。女性たちの何人かは、ウィルス感染の恐怖、生活の困窮、いつ状況が良くなるのか全く分からないことから来る不安の中で、絶望しかかったというのでした。しかし、彼女たちはその苦境を生き延びました。勇気を出して助け合うことによって。ロックダウン導入から 10 日が過ぎた頃、グループの世話役たちが電話で連絡を取り合い、銀行に預けてあった運営資金から、日本円で 2,300 円に相当するお金をそれぞれの口座に振り込むことを決めたのでした。女性たちは、携帯電話で伝言ゲームのようにその朗報を一人、また一人と伝えていきました。電話が不通になっていた仲間には、警察に拘束されないように、裏道を通って仲間の女性の家まで行って伝えたのです。その時の苦労話を複数の女性たちがユーモラスな語り口で笑顔を見せながら話してくれました。そして、昨日集った全ての女性たちが、そのお金を手にしたときの喜びと感謝、「一緒に働いてきて良かった」と心の底から感じたことを語っていました。”

 

被害者と加害者が分断を超えて一致し、共に働き、お金を分かち合い「一緒に働いてきてよかった」と感じたと言うのです。佐々木さんはこのことを次の様に考察しています。3ページです。

 

“この苦境がただ過ぎ去ることを待ち望むことからは本当の希望は見えてきません。また、以前の日常を取り戻すことが希望であってはならないとも思います。今日一日、私が出会うお一人お一人と、どんな形であれ共に希望を見出していくこと。その希望を紡ぐ営みに具体的に関わり、今、祈り行動していくことが大切なのです。そして、やがてコロナ禍を生き延びた時に、その方々との関係がより強く愛に満ちたものになっていることを心から願います。そこからしか、コロナ後にあるべき社会を創る営みは始まらないのではないでしょうか。”

 

このことはコロナだけではなく、虐殺の被害者と加害者の関係も含めた言葉だと思います。憎しみ合った二人が、引き離された二人が、それが無かったことの様に過ごすことが、平和、希望ではありません。困難の後に、二人の関係がより強く愛に満ちたものになっている関係を求めたいのです。

この会報のタイトルは「ウブムエ」と言います。「ウブムエ」はルワンダ語で「一致」「調和」「和」を表す言葉です。この会報のタイトルが事柄を良く表しているのではないでしょうか。私たちにも様々な分断があります。コロナや、外出自粛や、差別や民族や国境。私たちはその隔てを超えて、その隔てを乗り越えて、関係がより強く愛に満ちた者になってゆく、一致、「ウブムエ」をしたいのです。困難があっても、いえ困難があるからこそ、もっと大きな希望があると期待して、「ウブムエ」して歩みだしたいのです。

そこにはイエス様が必ず一緒にいて下さいます。力を与えて下さいます。イエス様がまず私たちと共に生き、私たちとの一致し、ウブムエして下さいました。私たちと神様の間を、イエス様が乗り越えて来て下さり、私たちの元に来てくださったのです。そのことを今日の個所から聞いてゆきたいのです。私とイエス様が強い関係にある、一致し、ウブムエして下さっている、そのことを見てゆきたいのです。

 

 

今日の聖書の個所を見ましょう。イエス様は今日の個所44節で、父が私を遣わしたと言っています。イエス様が神様の言葉を伝える者であること、その意味でイエス様が神様と等しい方であるということです。

そして神様の元に行く方法を教えてくださっています。それは、神様が私たちを引き寄せて下さるかどうかです。神様の元にいること、神様と一致し、ウブムエする事、それは神様が起こすことです。私たちが行くのではありません。何かをすれば行けるのではありません。神様が私たちを招き、一致・ウブムエして下さるのです。私たちは神様の招きに応えるだけで良いのです。

48節、イエス様は私はパンだ。そして私の肉を食べなさいと言います。私たちは主の晩餐を毎月していました。あのパンはイエス様の肉だというのです。小さいブドウジュース、あれはイエス様の血だというのです。もちろん私が持ち上げて祈ると何かが起こって変化するというわけではありません。あれを食べると不老長寿・不死身の体、病気が治ったりするわけではありません。

このパンを食べるとどうなるのでしょうか?56節にはこうあります。「いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」ことになるのです。これを食べるとイエス様の中にいるような体験、イエス様が中にいるような体験、そんな一致、そう「ウブムエ」が起こるというのです。

58節そのパンは普通の食べ物とは違います。モーセたちが荒野で食べた食糧としてのパンとは違います。それは小さいけれど、イエス様、神様との一致・ウブムエを私たちに教えてくれるパンなのです。それを食べると57節「私を食べる者は、私によって生きる」のです。イエス様の体を、肉を食べて頂くとき、私たちはイエス様によって生きる者になります。すぐに分断してしまう人間が、そのパンを頂く事によって、神様の内に生きるようになり、神様との一致を体験するのです。そしてそれは他者との一致への体験へと広がってゆくのです。

永遠の命、それは不老長寿・不死身の体ではありません。それは殺し合わない命です。ずっと共に生き続けようとする命です。永遠に傷つけ合わない命です。その命は、一致はイエス様が私たちと一致、ウブムエして下さっていることから始まるのです。

あのパンを食べるという事、それはイエス様との一致、ウブムエの体験です。その一致を通じて、私たちには互いに一致をしてゆく者とされるのです。分断を超えて、平和を生きる者とされるのです。

53節にある「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」とはそのようなことです。イエス様が与えるパン、その一致のパン、ウブムエのパンは、51節、世を活かすためのパンです。一人だけではない、世全体を活かすパンなのです。

このようにイエス様のパンは命のパン、平和のパン、一致のパンなのです。イエス様は私たちと一致をしてくださる、ウブムエして下さるお方です。だから私たちもお互いに一致ができるはずです。どんなに違いがあって、どんなに強い憎しみがあって、どんなに困難があっても、どんな過去があっても、それにまさる希望、一致、ウブムエを神様が必ず用意して下さっているのです。イエス様は私たちの壁と分断を壊し、一つにしてくださる。ウブムエさせて下さるのです。

私たちの世界と日常には分断が多くあります。日本と韓国、中国とアメリカ、富裕層と貧困層、私とあの人、あの人とあの人。でも私たちは必ず一致、「ウブムエ」できるはずです。平和が実現できるはずです。イエス様の肉を頂き、祈り、行動をしてゆきましょう。お祈りします。