【全文】「食べ物を祈る神」マタイによる福音書6章9節~13節

 

御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧を今日与えてください。マタイによる福音書6章10~11節

 

みなさん、おはようございます。今日も共に礼拝ができること、うれしく思います。こどもたちもともに集ってくれました。こどもたちとともに礼拝をしてゆきましょう。

地域と福音というテーマでみ言葉を聞いています。前回はこひつじ食堂(大人もこどもも歓迎の地域食堂)から聞こえた福音、相互の助け合いということについてみ言葉に聞いてゆきました。今日も引き続きこひつじ食堂から聞こえてきたことを考えてゆきたいと思います。

私たちの教会では「こどもプロジェクト」として、地域の子供たちに向けて関わろうとしています。近年こどもたちの貧困が深刻になっているとよく聞きます。私の子どもも4月から小学校に入学しました。平塚市では子供が入学すると「就学援助費」のお知らせというのが同封されます。

入学の費用について経済的な支援が必要な場合、市がその費用を援助してくれるという仕組みです。例えばランドセルの購入代金などの援助があります。入学の際にその制度が案内されます。これが「就学援助費」です。この利用について統計があるのですが、こどもの貧困を図る指標として、よく使われています。この統計によれば私が小学生だった当時の就学援助費の利用率は6%程度でした。しかし現在の利用率は15%近くになっています。30年ほど前より、こどもを小学校に通わせることが経済的に苦しくなってきている人が2倍以上になっているということです。

私がこどもだった頃より、確実にこどもたちは貧しくなっているということです。貧しくさせられています。私の親が子育てしていた時代より、いまの子育ての方がずっと環境は厳しいのです。生活を守っていくうえで何ができるでしょうか。家賃や光熱費は下げることができません。携帯電話も絶対必要です。どんなに貧しくても服装、身なりだけはしっかりしようと考えるでしょう。削減するのは何でしょうか。一番は食費です。生活費をねん出してゆくためにできるのは、食費を切り詰めるくらいしかありません。外見から見て何も変わらなくても、食事の量や内容を落とさざるを得ないこどもが増えているのです。もっと言うと日々の食事に精一杯で、お菓子なんて買う余裕はありません。

先日の食堂ではオープン前に20人以上が列を作ってお弁当とお菓子をもって帰りました。みなさんニコニコしながらお弁当を持って帰り、何かに困っているようには全く見えない、幸せそうな方ばかりでした。でも中には、本当に食事を必要としている人がいるのかもしれません、きっといたでしょう。

教会はこひつじ食堂を通じて、この問題に少しですが関わっています。食費を削る窮屈な思いをしている方々に、月に1食ですが、ちょっと安くて、手作りで、心があったまる、そんな食事をお渡しています。それだけではみんなの状況をほとんど変えることはできませんけれども、でも少しでも支援につながるなら、教会として大切なことができたのではないでしょうか。私たちのこの働き、続けていけるように祈ってゆきましょう。

教会が関わるのは、何も心の内面の問題、霊の問題、魂の問題だけではありません。おなかがすいているという問題に関わることも大事なことです。教会は人の内面だけではなく、小さくとも必要を満たすという活動も大事なことです。

特にこの働きのためにボランティアも募集していますが、どうぞまず祈ってください。みんながちゃんと食事できるように、教会がそのために働きを続けることができるように、どうぞ祈ってください。祈ってゆきましょう。そこからが私たちのスタートです。

今日の聖書を箇所は、主の祈りと呼ばれる箇所です。この中にはなんと、食べることへの願いが含まれています。それは今の私たちにとって、大切なことでしょう。神様は食べることができるようにと祈っておられるのです。

 

 

今日の聖書箇所を一緒に見てゆきましょう。弟子たちはイエス様に、私たちはどう祈ったらよいのかを聞きました。後にこの祈りは「主の祈り」として、私たちキリスト教の教会でもっとも大切な祈りとして祈られるようになりました。私がまず目をとめるのは、11節「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」という祈りです。主の祈りとしては「我らに日用の糧を今日も与えたまえ」と暗唱しています。

ここにある糧という言葉は、パンを表す言葉です。パンが日本語では糧と訳されています。必要な、一日分の食べ物の「パン」を祈っているのです。経済的に裕福な時代や地域では、この糧の願いというのは精神的・内面的な糧と受け取られてきました。1日の精神的な支えやあるいは1日の心の支えとなるみ言葉が与えられるようにと受け取られてきました。もちろんそれも必要でしょう。あるいは裕福な時代と場所で糧とはただの食事ではなく、おいしい食事、グルメ志向と混同されてきたでしょうか。

しかし、本当に食事に事欠く時代や地域では、この祈りの受け止め方は大きく違います。内面的な、精神的な支えを祈るだけではなく、まず本当に口に入れる食べ物を願う祈りとして祈られています。今日の食事ができるようにという祈りです。そしてもちろんイエス様に従う人々の多くはそのように今日の食事ができるかどうかわからない、貧しくされている人々でした。イエス様もこの祈りをおそらく、まず必要な食べ物をしっかりと食べるということに向けられた祈りだったでしょう。

イエス様が祈ったのは、今日の食べ物をくださいという祈りです。食事をしっかりと食べることができますように、食費を削らなくてもいいように、そのほかの必要を満たしてくださいというのが、この祈りだったでしょう。

この祈り、私は今のこひつじ食堂への祈りと重なります。私たちのこひつじ食堂はこの祈りの中にあるといえるでしょう。しっかりと食べることができますようにという祈りが、この活動につながっています。心の支え、魂の支えも大事です。教会はずっとその支えになってきました。でもいまこの時代、食べ物を分かち合っていくことも、教会の大事な働き、大事な祈りです。食べ物への祈りを大切にしてゆきましょう。

そしてイエス様の教えたこの祈りは「私」の食べ物、「私」の生活の守りを願う祈りではないということも大事なことです。それは「私」ではなく「私たちに」という複数形で祈るようにと教えられています。だから私だけ食べれればいいのではないのです。この祈りは、みんなの食事がありますように、みんなに食事が行き渡りますようにという祈りなのです。

私だけ食べて、ほかの人が、ほかの子供が食べていないなら、この祈りを祈っている意味はどこにあるのでしょうか。全員が食費を削らずに、十分に食べることのできる社会を目指す。そういう人のために祈る。そして少しだけど、できることをする。それがこの祈りを通じてイエス様が示されていることではないでしょうか?

次に10節も見てゆきましょう。イエス様は「御心が行われますように、天におけるように地の上にも」とも祈るようにと教えています。

御心とは神様の考えること、神様の実現しようとしていることという意味です。この御心は天、天の国、神様のもとではすでに実現をしています。神様の元ではすべての人に不足がありません。「天におけるように、地の上にも」とは、そのように天、天の国、神様のもとで起きていることを、天だけではなく、この地上でも起こしてくださいという祈りです。神様のもとで全員が満たされるのが天の国、神様の元だとするなら、それを地上でも起こしてくださいとここで祈っているのです。

いつか必ず全員が満たされるときが来ます。でも私たちはただそれを待つだけではありません。それがこの地上で起こるように祈ります。いま私たちの生きているこの現実が変わることを祈り、願うのです。これは地上では、いろいろ不足があるけれど、天の国に行ったら何不自由ないよねという話ではありません。いまのこの地上の現実が、天の国のように、変わってゆきますようにという願いです。イエス様はそのように祈りなさいと私たちに教えてくださいました。

具体的にこの地で御心が、起こることを願う祈りです。食事が分かち合われ、不足のない生活をすることが今この現実に起きることを願う祈りです。私はこひつじ食堂がこの祈りに支えられ、その器として用いられてゆくと思います。

私たちこひつじ食堂のために祈ってゆきましょう。たくさんの方々の必要な糧となっているこの食堂を祈りましょう。すべての人に糧を、今この場所が、全員の必要が満たされる場所になるように祈りましょう。イエス様がその祈りを私たちに教えてくださいました。そして祈りに支えられて、平塚バプテスト教会は小さな働きだけれども、歩みだしました。

神様は私たちにどう祈ったらよいのかを教えてくださるお方です。そしてその中にははっきりと食べ物について祈るようにと教えられています。みんなが食べれるように祈ろうと教えられています。神様の御心が地上で実現するようにと祈ろうと教えられています。私は今この主の祈りがこひつじ食堂への祈りと重っています。この祈りを大切にしてゆきましょう。お祈りします。今日はもう一度、こひつじ食堂の祈りに、この主の祈りを重ねて祈りましょう。

 

 

「主の祈り」

天にまします我らの父よ。願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いいだしたまえ。国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。