「ジェラる神」ゼカリア書8章1節~8節

 

万軍の主はこう言われる。わたしはシオンに激しい熱情を注ぐ。激しい憤りをもって熱情を注ぐ。

ゼカリア8章2節

 

若者ことばで、嫉妬する、ジェラシーを感じるということを、ジェラると言うそうです。ジェラシーというは、かわいげのある感情でしょう。好きな相手がいるからこそ抱く感情だからです。やきもちを焼かれる側はどうでしょうか。扱いづらくも、ちょっと照れくさく、嬉しいものでもあります。もし嫉妬されてしまった時は、自分の気持ちがしっかりその相手に向いていると伝えることが大事です。ジェラシーは自分の優先順位が低くされていると感じた時に起こる感情だからです。今日お話しするのは、神様は激しくジェラるお方だということです。

2節には「激しい熱情」とあります。熱情とは嫉妬すること、ジェラシーを感じること、ジェラることです。しかしよく考えると、このジェラシーは私たちに神様のことをよく理解させてくださるかもしれません。神様は激しい嫉妬、激しいジェラシーの感情をもっているお方です。

神様が嫉妬するのは、他の神や物・人を見ている人に向けてです。私が一番ではないとダメと嫉妬をしているのです。神様は私たちに、神様を大切にしていること、神様への愛をしっかりと示してほしい、一番だと示して欲しいと願っているのです。それが神様の激しい熱情です。私たちはその激しい熱情を怖いと思うのではなく、なんだか照れくさいけれど嬉しい、そう感じてみてはどうでしょうか。神様は私たちを愛していて、もっと私だけを見て欲しいと、激しくジェラっているのです。

私たちはすぐに優先順位を変えてしまいがちです。お金、将来、人間関係、介護、病気、たくさんの心配があり、私たちの生活はそれが中心になってしまうことがあります。それに神様はジェラっています。

3節には「私がエルサレムの真ん中に住まう」とあります。エルサレムとは私たちのことです。神様は私たちに心のすみっこではなく、真ん中に神様を迎えるようにと言っているのです4節からは「エルサレムの広場」という言葉があります。教会に子供たちの笑い声が広がる様子と重なります。。神様は嫉妬から、争いと戦いを起こすお方ではありません。平和を実現しようとされる方なのです。

さて、新年を迎えています。神様は私を中心とせよ、そう激しい熱情を持って繰り返し語っています。それができない私たちにジェラっています。私たちの1年はきっとまた神様の言葉が繰り返し注がれる1年となるでしょう。そして私たちはそのような神様を中心とする、一番にする、そんな1年にしてゆきたいと願います。

この私たちを激しい熱情で愛してくださる神様を、そしてこどもと高齢者が笑い合う平和を実現させてくださる神様を今年もまた中心にしてゆきましょう。そんな教会にしてゆきましょう。私たち一人一人の心の中心に神様を迎える、そんな1年にしてゆきましょう。お祈りいたします。