【全文】「貧困撲滅祈祷」マタイ6章9~13節

みなさん、おはようございます。今日もこうして共に礼拝をできること、主に感謝します。私たちはこどもを大切にする教会です。今日もこどもたちと一緒に、声と足音を聞きながら礼拝しましょう。

今月と来月は主の祈りをテーマとして宣教をしています。前回は「御国が来ますように。御心が天になるごとく地にもなさせたまえ」についてお話をしました。また沖縄訪問の証しも聞きながら、この祈りは神様の愛と平和がこの地上を満たすようにしてください。沖縄の平和、平塚の平和、私たちの平和、世界の平和が地上で起るようにという祈りだということを見ました。

今日は「我らに日用の糧を今日も与えたまえ」を見てゆきたいと思います。祈りには「日用の糧」とあります。「日用」とは日用品という言葉があるように、毎日使うという意味です。「糧」とは、食べ物あるいはパンという意味です。ごはんのようなイメージの言葉です。ごはんというと、ライスと食事とどちらも指す言葉であるのと同じです。当時の主食はパンでしたから。これはパンを与えてくださいという祈りです。今日一日のパンをくださいという祈りです。

そしてもう一つ糧という日本語には、心の糧とか、命の糧といった心を支えるもの、活力の源になるものという意味があります。何か食べ物だけではなく、心を支えるものを神様に願っているという意味もあります。みなさんはこの祈りに様々なイメージを持っていると思いますが、この祈りには2つの側面があります。食べ物を求める祈りと、心が満たされることを求める祈りの2つです。本当に食べ物を求め、お腹が満たされる祈りとしての側面、そして心が満たされ、魂が満たされることを求める祈りとしての側面、今日はそれぞれの側面を見てゆきたいと思っています。

まず食べ物を求める祈りとして見てゆきましょう。イエス様の時代、飢饉と貧困と格差は大きな社会問題でした。人々はいつもお腹が空いてしました。いまよりもっと食べ物が貴重だった時代です。イエス様の生きていた時代にも大きな飢饉があったと言われています。天候不良で飢饉が起きると多くの人が餓死をしました。当時の人々は地獄を簡単にイメージできたと思います。それは食べ物が無いあの飢餓の様子が本当に地獄の様だったからです。食べ物がなく、絶望し、大人もこどもも苦しみながら死んでゆくのです。生きるために奪わなくてはいけないとうことも起こりました。飢饉の恐ろしさ、残酷さは一度体験したら忘れることが出来なかったでしょう。パンが無いことは心にも体にも深刻なダメージを残しました。人々の間でいろいろなことが伝承されたでしょう。

日本にも飢饉の伝承は残っています。まさしく地獄絵図です。飢饉に対して人々は差し迫った恐怖感をいつも持っていました。だからこそ人びとが理想だと考えたのは飢饉のない世界でした。旧約聖書には神様のもとで祝宴をあげるというイメージが繰り返しあります。まさしく飢饉がなくなり、食べ物がたくさんあって喜んでいる、その状態が、神様のもとにいるイメージだったのです。

飢餓は天候不良だけが原因ではありません。食べ物はたくさんあるのに権力者に税金として奪われてしまうことも原因でした。飢饉が起るとお金持ちはありったけの食料を買い上げ、大儲けしました。金持ちに買い占められて食べ物が無い、このような不平等な制度も飢饉の原因です。人々は追いつめられると二束三文で土地を売って、そのお金で今日の糧を食べました。その人は飢饉が終わった後も、土地を失い貧しいままでした。人々はそのような不平等な社会制度によって、いつもお腹が空いていて、今日の食事があるかどうかわからない状況を生きていました。

イエス様はそんな時代に祈り方を教えました。イエス様に従っていた多くの人は、今日の食べ物が無いかもしれないと切実に心配している人でした。彼らも飢饉を経験したことがあったでしょう。イエス様は地獄のような光景を見てきた人、その心配が今まさに差し迫っている人、お腹の空いている人に向けて、こう祈りなさいと教えました。神様に向けて今日の食べ物が与えられるように祈ろうと教えたのです。これは元々何とか食べ物を得たいという必死の祈りです。庶民のみんなの祈りであり、貧困層の祈りであり、生存を求める祈りです。社会の不平等が終わるように祈る公正さを求める祈りです。これはイエス様の飢餓撲滅、貧困撲滅の祈りだったのです。

 

もう一つの側面をみましょう。キリスト教はイエス様の十字架の後、どんどん広がってゆきます。貧しい人だけではなく、余裕のある、お金持ちにも広がってゆきました。彼らは飢饉とはほとんど無縁の生活を送っていました。私たちと同じように毎日の食べ物が保障される生活を送っていたのです。彼らには、今日の食べ物がないかもしれない、またあの地獄のような飢饉が起きたらどうしようという切迫した気持ちはありませんでした。そのような人たちはこの祈り、日用の糧を、毎日のありふれた食事のことではないと受け取りました。食べ物のことを祈るのではなく、もっと別の事を祈っているのだと解釈をしました。例えば日用の糧とはこれは日々のみ言葉ことだと考えました。日々私を支える聖書の言葉、霊的な支えと解釈がされるようになったのです。手元に「日毎の糧」という本があります。これはいわゆる聖書日課です。毎日読むべき聖書箇所が書いてあります。聖書の言葉が私たちの生きる糧だと理解をしています。この祈りは食べ物への祈りではなく、私たちの心の支えを求める祈りとして祈られるようになりました。その理解は私たちにも続いている理解です。

私たちはこの2つの側面を知り、この2つを両方とも大事にしながら祈りたいと思います。そして特に私たちは食べ物を祈るということ、緊張感をもって祈ることを忘れてしまっているかもしれません。私たちの目の前には食べ物がいっぱいあるからです。でももう一度この祈りが、イエス様が初めて教えた時は、食べ物を願う祈りだったということは忘れずにいたいと思います。私たちは食べ物の祈りを忘れずにいましょう。私たちがこれはもともと飢餓撲滅の祈り、貧困撲滅の祈り、不平等解消の祈りであること、食べ物の祈りであるということ忘れずにいたのです。それを見直す時に手掛かりになるのは「我らの」という言葉だと思います。

「我らの」とは「私の」ではなく「私たちの」という意味です。この祈りはみんなの食べ物が与えられる様にという共同体の祈りです。それは私が(私だけが)食べればよいという祈りではありません。私の家族が、私の周りが、教会の仲間たちが食べればよいといういのりではありません。私以外の人もみんなが食べることができるようにと祈っています。そのような祈りであると知る時、私の周りでどんな人が食べられないかを考えさせられます。

私の身の周りには最近食事があまり食べられなくなってきているという高齢者がいます。暑さの問題なのか、体力や体調の問題なのかわかりませんが、あの人がもっとしっかり食べて欲しいと思っています。もしかしたらこの思いも、この祈りの中に含まれているかもしれません。私だけではなくておじいいちゃん、おばあちゃんがしっかりご飯を食べることができますように、この祈りはそのような祈りです。

他にも私たちの周りには食べることが出来ない人が増えています。貧困が広がっています。こどもたちの夏休みが始まりましたが、夏休み期間中に体重が減ってしまうこどもがいます。給食がなくなってしまうからです。家では十分な栄養がとれなくて、学校の給食でなんとか栄養をとっていたのが、夏休みは給食が無くなります。バランスも崩れます。こどもたちが夏休み、しっかり栄養とバランスの良い食事を食べることができるように祈りたいと思います。そして何かできることをしたいという思いが、こひつじ食堂につながっています。あの活動は私たちのこの祈りから始まったとも言えると思います。

もっと世界に目を向けましょう。「我ら」とは、私たちの周りだけではなく私たちの世界とまで広げることができるでしょう。世界の貧困と飢餓は急激に広がっています。もっとも大きな原因は戦争です。戦争すると農地が荒らされたり、農業をする人がいなくなったり、収穫物の移動が難しくなります。戦争は飢餓の原因のひとつです。みんなに食べ物がゆきわたりますようにというのは、戦争が終わりますように、平和がありますようにという祈りとつながっています。平和が無いところに食べ物はありません。みんなに食べ物があるようにとはみんなに平和があるようにという祈りでもあるのです。

今日は主の祈り「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」を見て来ました。私たちはこの祈りをどのように新しく祈ることができるでしょうか。私たちは今日、心の支えとなる糧、魂の支えとなる糧があるように祈ります。そしてこれは我らの、みんなの祈りです。食べ物の祈りです。貧困撲滅の祈り、飢餓撲滅の祈り、平和の祈りです。みんなが満たされるように祈る祈りです。「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」は食べ物と平和が世界にゆきわたりますようにという祈りです。この祈りがもっと世界に広がるように祈ります。この祈りはきっと世界を「我らの」という言葉で結び付けています。そして世界が共に、具体的に働いてゆくように促しています。そして私たち一人一人の中にもこの祈りが広がってゆくことを祈ります。私たちが「我らの」と祈る時、私たちはこの祈りによって結び付けられます。そして私たちはそれぞれの場所で具体的に働けるように力が与えられるはずです。主の祈りをもう一度一緒に祈りましょう。