【全文】「礼拝から派遣されて生きる」Ⅱコリント13章13節

みなさん、おはようございます。今日もこうして共に礼拝に参加できること、主に感謝します。私たちはこどもを大切にする教会です。そして今日は特に加えたいのですが、私たちはこどもだけを大切にする教会ではありません。若い人も、高齢者も大切にする教会です。一番小さな存在・子どもが大切にされる教会です。一人一人が大切にされる教会です。今日は礼拝の後半で、高齢者祝福祈祷の時を持ちます。みんなで礼拝をしましょう。

今月の宣教は礼拝と礼典について考えています。ここまでの2回は主の晩餐について考えてきました。主の晩餐が開かれてゆく可能性について、主の晩餐以外にも教会の境界線がどのように変わってゆくのかを考えました。今日は礼拝の中の「派遣の祈り」について考えたいと思います。8月から礼拝のプログラムが試験的に変更となっています。小さいことかもしれませんが、何か違いを感じているでしょうか。なるべくわかりやすいように言葉が変更されたことと、順序が少しだけ変更されています。一番大きな変化は「祝祷」と表記されていたものが「派遣の祈り」に変更になった点です。これまでと内容は変わらないのですが、より派遣という意味をはっきりとさせるために祝祷から「派遣の祈り」に変更されました。改めてプログラムを見ると、礼拝は招きで始まり派遣で終わるサンドイッチ構造になっているのがわかります。これは私たち礼拝者の1週間をよく表しています。

私たちの1週間は日曜日から始まります。私たちは1週間の始まりの日曜日を、それぞれの場所から神様に招かれてこの礼拝に集うことから始めます。もちろん、いろいろ予定を空けて、都合をつけて来たのは私ですが、それも含めて神様の招きです。私たちはそれぞれの場所から今日、神様に招かれて、ここに集って、一緒に礼拝をしています。そして私たちはこの礼拝から生きる力をもらって、聖書とお互いから励ましをもらって、またそれぞれの場所に派遣されてゆきます。私たちの礼拝は1週間の中心です。礼拝とは1週間の始まり招きであり、派遣なのです。礼拝ではそのことが表されています。

派遣の祈りは平塚教会では次のように祈られています。「私達を礼拝に呼び集められた神様。あなたは今、私達をそれぞれの場所へと派遣されます。私達は主なる神を愛し、隣人を愛しましょう。主なる神に仕え、隣人に仕えましょう。主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、派遣される私たちと共に、また全世界のあらゆる命と共に、豊かにありますように。アーメン」

神様から派遣されるというのは面白い考え方です。クリスチャンは教会・神様が私たちの家であって、私たちの心の居場所であって、そこから1週間、職場や家庭や地域に派遣されていくと考えます。そのように派遣されて、職場や家庭で1週間をクリスチャンとして生きます。礼拝から派遣されるのです。そして1週間、派遣された先ではさまざまなことが起ります。難しい人間関係や難しい問題に対処することになるでしょう。

神様が礼拝に私たちを呼び集め、神様が礼拝からそれぞれの場所に派遣をします。私たちは派遣された場所で、神様からその場所に派遣されたクリスチャンとして、神様を愛し、隣人を愛するものとして生きます。神様に仕え、隣人に仕えるのです。そこにはいろいろな事、大変なことがあります。でも私たちは、その場所でクリスチャンとして生きることを忘れずに生きます。愛し、仕えて生きようとします。自分だけを愛し、自分だけのために働くのではなく、神様と人間を大切にし、自分以外の人のために働きます。そのように生きるために私たちは礼拝から派遣されるのです。

神様から派遣されることで、私たちには他の人にはない力が湧いてきます。1週間の大変な現実に打ちのめされるような気がします。また月曜日から大変だと思います。そこにある課題や、人間関係、交わりに悩みます。でも週の始めに神様が力を下さいます。もし神様が力を与えて私を派遣してくださるのなら、私たちは1週間なんとか生き抜くことができます。なんとか愛をもって1週間を過ごすことができます。よい共同体を作る、そのために働くことができます。そしてまたもし1週間後に神様のもとに招かれるなら、何とかまた1週間生き抜くことができます。私たちはそんな風に神様を支えにしながら、生きてゆけるのです。礼拝で一人一人が力をいただき、それぞれの場所に派遣されます。私たちはそこで愛し、仕える、そのような1週間を過ごしてゆきましょう。

 

今日の聖書箇所を見ましょう。今日はコリントの手紙Ⅱ13章13節です。礼拝の派遣の祈りの最後の一文はこの聖書箇所に由来します。今日の個所はイエス様の弟子たちが、いろいろな事情や課題を持った教会を励ましつつ、イエス様の教えを伝えるために書いた手紙です。今日の個所も手紙の一部で、最後の結びの言葉にあたる箇所です。聖書に残る多くの他の手紙でも、このような最後の結びが見られます。ガラテヤ書では「私たちの主イエス・キリストの恵みがあなたがたの霊と共にあるように」と結ばれています。ローマ書では「主イエスの恵みがあなたがたと共にあるように。私の愛がキリスト・イエスにおいてあなたがた一同と共にあるように」と結ばれています。どこかそれぞれの生活へと送り出しているように聞こえる祈りです。この手紙を読んだ読書は、神様に派遣されて、それぞれの場所を生きるようにと促されているのです。

今日の個所では「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた(私たち)一同と共にあるように。」と祈られて、派遣されています。神の恵みと神の愛が1週間、私たちの生活にあるようにと祈られています。神の恵みは、神様から与えられるよいことです。神様の愛とは、神様が私たちを大切にしてくださることです。そのような守りの中で1週間が過ごせるようにという祈りです。

今日の個所には「聖霊の交わり」という言葉もあります。聖霊の交わりというのは少しわかりづらい言葉かもしれません。交わりという言葉から見ましょう。教会では私たち同士の交流や祈り合い、励まし合い、食事を「交わり」と呼びます。礼拝も信仰も一人でするものではなく、みんなとするものです。教会はずっと交わりを大事にしてきました。礼拝の前半に挨拶をするのも私たちの交わりが大切だからです。教会は交流や信頼関係のある共同体づくりを大切にしてきました。

今日の聖霊の交わりとは、聖霊によって生まれる交わりのことです。聖霊によって生まれる私たちの間の交わりが聖霊の交わりです。簡単に言うと、よい信頼関係とよい交流が私たちの間にあるようにという意味です。神様が私たちに力と言葉を与え、私たち人間の間によい交流が、よい人間関係が、よい共同体があるようにということです。もちろん教会の中にとどまりません。派遣されたそれぞれの場所でよい交わりが起りますように、よい言葉が交わされるように、人々の間にさわやかな風が吹き抜けるような人間関係ができるようにという意味です。聖霊の交わりとは、私たちが聖霊から力をいただいて、よい交わりを作ってゆくことです。

今日のコリント教会は様々な課題があり、分裂しそうな教会だったと言われています。イエス様の弟子がそこに、聖霊のよい交わりが起るようにと祈りました。ぎくしゃくする共同体に、神様の力とことばによって、よい人間関係、よい信頼関係が起るようにと祈っています。

この言葉は私たちに向けた言葉でもあります。それぞれが派遣された場所で聖霊の交わりがある、よい交わりがある、よい信頼関係がある、そのような共同体を作ることが私たちにも勧められているのです。

私たちの1週間が始まりました。私たちは聖霊の交わりをそれぞれの場所で実現できる、そのような1週間にしてゆきましょう。私たちは今日またこの礼拝から派遣されます。派遣された先で、私たちは聖霊から力をいただき、よい交わりを、より人間関係を創ることができるはずです。私たちには恵みと愛が与えられるはずです。私たちは今日、そのように派遣されるのです。私たちはそのような聖霊の交わりを作る1週間を歩んでゆきましょう。

今日この後、敬老祝福祈祷の時も持ちます。特に高齢の方々の1週間を覚えます。おそらく私の考える1週間とは違うとらえ方をしておられるのでしょう。高齢の方々の1週間の大変さを想像します。

体調が天候に左右されて毎日違うことを教えてもらいました。思う様にいかないことが増えていることも教えてもらいました。様々な心配を持っておられることでしょう。その1週間が守られるようにお祈りします。

そして何より、高齢者の方が今日神様に招かれ、精一杯に礼拝に集われている姿に私たちは堅い信仰を感じています。それは本当に私たちの励ましとなっています。そしてこの共同体のよい交わりを作り、守り続けてくださったことにも感謝します。この教会に聖霊の交わりを届け続けて下さったことに感謝します。

私たちは1週間、こどもも大人も高齢者もそれぞれの場所でできる愛、仕えること、聖霊の交わりをつくること、その祈りを大事にしてゆきましょう。私たちはこの礼拝に招かれました。今日ここからまた派遣されてゆきます。お祈りをいたします。