【全文】「時をかける神」ヨハネ福音書1章1節~18節

 みなさん、おはようございます。今日もクリスマス礼拝をみなさんと共にできること、主に感謝です。おとなもこどもも、一緒にこの礼拝を持ちましょう。またこの後のお楽しみ会も楽しみにしています。どなたでもご参加いただけますので、どうぞご出席ください。

今日はクリスマス礼拝、イエス・キリストの誕生を祝う日です。2000年前、イエス様がこの地上に生まれました。イエス様の誕生がどんな誕生だったのかを想像します。もしタイムマシンがあったら、どうするでしょうか?まず私は自分の変えたい過去を変えに行きます。そしてもう一つしてみたいと思っていることは、ぜひイエス様の時代にタイムトラベルをしてみたいということです。イエス様の誕生と復活がどのような風景だったのか、見にいってみたいと思います。それはどんな誕生で、地上の生涯だったのでしょうか。2000年前にタイムトラベルできたらいいのにと思います。テレビのアニメやドラマで、タイムトラベルが題材になったものを見ます。タイムマシンにのって、過去に行って若い頃の両親に会いに行ってみたり、恐竜を見に行ったり、未来に行って今好きな人と結婚できているかを調べにいくのです。

いずれにしてもタイムマシンを使う時に大事なのは、過去や未来を変えてはいけないということです。みんな変えたい過去や歴史があります。それぞれ自分の過去や未来を変えようとします。でもどんなに悪い事でも過去や歴史を変えてはいけないのです。タイムトラベルにはときどき、あやしい悪者が出てきます。歴史を変えようとする人、歴史を変えて金儲けをしようとする人、時間犯罪者が登場します。タイムマシンのある世界では歴史を変えるのは時間犯罪です。それに対して時空警察、タイムパトロールという取り締まりもあります。別時代の人、別世界の人が歴史に介入することは許されないのです。

クリスマス、神様の働きについて考えます。クリスマスは神様という人間とは全く違う方が、人間の歴史に介入しようとしている出来事だと思います。神様にとって人間はもともと自分とは全く違う、別存在だったはずです。神様は神様、人間は人間です。神様には何の不自由もなかったはずです。地上の事は放っておくことができたはずです。人間の自己責任にゆだねておけばよかったのです。神様は人に関わらないことが出来たのです。人間なんて関わらない方がよい、めんどうな存在だったはずです。

しかし神様はご自分で人間の世界に、歴史に、直接介入することを決めました。神様は人となり、地上に生まれることを決めたのです。神様は肉体を持って、肉をまとって、私たちの世界に降りてきたのです。そのように神は地上で人間として人生を生きることにしたのです。それがクリスマスです。神様は人間の歴史に介入し、人間の未来を変えることを決めたともいえるでしょう。それがクリスマスです。クリスマスは、神様が人間の歴史に直接介入を始めたという出来事です。本当は人間だけの歴史だったはずです。人間自身が人間の手によって、自分たちの運命・歴史を決めていくはずでした。しかし神様はその歴史に介入をなされました。イエス・キリストという形で、人間に介入をしたのです。人間の未来を変えるために、地上に生まれたのです。

イエス様はそのように地上に生まれました。そしてその地上での人生は人々に大きな影響を与えました。大勢の人の生き方を変えました。神様が歴史を変え、未来を変えたのです。神様が歴史を作ったともいえるでしょう。神様はそのような方です。歴史を変えるお方、未来を変えるお方、私たちに直接関わるお方なのです。今日の個所から、私たちの歴史、未来を変える神様について考えたいと思います。聖書を読みましょう。

 

 

ヨハネによる福音書1章1節~18節までをお読みいただきました。ヨハネ福音書は、神、光、言という詩のような文章からはじまります。他の福音書と違う、印象的な始まり方です。聖書にはイエス様の誕生についてそれぞれの福音書が様々な角度から記しています。マタイ福音書を見ると、イエス様の誕生は唐突な系図から始まります。その系図はアブラハムから始まります。神に特別愛されたアブラハムから代々、子孫が受け継がれてゆき、イエス様が誕生したと書いてあります。系図を重視するユダヤ人らしいとらえ方です。ヨハネ福音書ではどうでしょうか。ヨハネ福音書はもっと時空を超えて理解しているように思います。それは系図を今の時代から順番にさかのぼっていく理解ではありません。人類をさかのぼるどころか、世界・宇宙の初めから、宇宙の始まり以前から、神様、イエス様がいるのだと言っています。時空を超えて、神様を理解しています。まさに時をかける神です。

ルカ福音書の始まりはどうでしょうか。ルカ福音書は「いろいろな人が書いているが、私は順序正しく書きます」と言って始まります。実際ルカは福音書とその後の使徒言行録も書いています。エルサレムから広がる宣教を、地上のイエス様を「時の中心」として順序だてて書いています。ヨハネ福音書はどうでしょうか。その時間軸はまるでタイムトラベルのように、複雑な時間軸を持ちます。ヨハネ福音書では、2000年前のイエス様の誕生という歴史上の「点」の出来事から徐々に世界に広がっていったということよりも、もっと以前からイエス様は世界と関わりを持ち、複雑に私たちの歴史、時間に関わっていると書いています。神学ではイエス様は生まれる前からずっと神様と一緒に存在をしていたことを「先在のイエス」と言います。

ヨハネ福音書の時間軸の特徴はこんなところにもあります。15節に洗礼者ヨハネの発言があります。そこには「私の後から来る人は、先におられた方だ」とあります。洗礼者ヨハネの方が半年ほど先に生まれました。先に活動をはじめたのも洗礼者ヨハネが先です。しかしここでは、ヨハネが後になる者で、イエス様はヨハネよりも先におられた方だと言っています。順序が逆転しています。

このようにヨハネ福音書の時間概念は複雑です。ヨハネ福音書にとってイエス様とは一体いつの時代の人なのか、よくわからなくなります。ヨハネ福音書によれば、神様とイエス様は世界の始まる前から共に存在しました。その方が2000年前に地上に生まれたのです。それは過去からきた人とも言えるでしょう。そして未来を変えるために来た人ということも言えるでしょう。まるでタイムトラベラーのように、自由に時間を超えて存在し、時間軸を自由に行き来している様です。

14節を見ましょう。ことばは肉となって私たちの間に宿られたとあります。これは神様が私たちの時代の、生活の中に入ってきたという意味です。関わる必要のないことに、私達に介入しなくてもよい神が、私たちの歴史に入り込んできたということです。天の神が地上の私たちの歴史に直接介入をしてきたということです。そして人間の時間軸に複雑に入りこんでくるということです。ずっと前からいた神が、今地上に介入を始めるということです。神は自由に時をかけます。神様はその地上の始まりに、苦しく、貧しい場所を選びました。この地上に足を踏み入れたその一歩は馬小屋だったのです。そのようにして神様の人間の歴史への直接介入が始まりました。神様が歴史を変えようとしたのです。

さて私たちはどのようにクリスマスを祝うでしょうか。2023回目のイエス様の誕生を祝うという他にも、もっと祝い方があるような気がしています。それは2000年前のことを喜ぶのではなく、もっと時間を超える、時をかけるような喜び方ができるのではないかということです。今という時を超えて、喜ぶことができるのではないでしょうか。

私たちにはイエス様と出会ったその時、ある時点から人生が大きく変えられたということがあります。しかし今日の個所から神の働きはそのような「点」のような働きだけではないと思わされます。神様はずっと線のように時代に、私たちに働きかけます。またさらに一方通行の線を越えて、時間の流れを超えて私たちに働きかけておられます。神様は時をかけるのです。

神様は私たちが存在するずっと前から私たちに働き続けています。そしてこれからの未来にも働き続けて、私たちと共にあり続けて下さいます。人間の歴史に関わり続けて下さっています。神様はそのように時を超えて、時をかけて私たちに関わり続けてくださるのです。時を超えて、私たちのもとに来てくださるのです。私たちは時をこえて神様とつながることができるのです。

クリスマス、私たちは2000年前の出来事を祝っています。でも私たちはそれを、もっと昔からのこととして祝いましょう。そしてもっと今のこととして祝いましょう。そしてもっと未来のこととしても祝ってよいはずです。神様が私たちの歴史を変えてきました。そしてそれと同じようにこれからの私たち一人一人の未来に、イエス様が関わってくれることを祝ってよいはずです。

神様は時を超えます。私たちは、ずっと前から、そして今にわたるまで、そして未来も、私たちに直接関わってくださるイエス様の誕生を喜びましょう。お祈りします。