みなさんおはようございます。今日もこうして共に礼拝できること、主に感謝します。今日も私たちはこどもの声がする教会です。今日もこどもたちと一緒に礼拝をしましょう。
2015年に「翔んで、埼玉」という映画が公開され大ヒットしました。この映画は東京都民から埼玉県民が差別を受けているというコメディー映画です。埼玉県民は東京都民から「ダさいたま」「クさいたま」「いなかくさい」と差別され、屈辱の日々を送っていました。そんなある日、埼玉出身でアメリカからの帰国子女である主人公が埼玉解放戦線を率いて、千葉解放戦線と協力して差別を続ける東京都知事を失脚させるというコメディーです。見下されていた人々が手を取り合い、解放を勝ち取っていく姿は、笑いと涙のあふれるストーリーです。このように現実の世界になんとなくある、埼玉への偏見をコメディーとして取り上げ、逆転させた映画として話題になりました。続編も公開され、今度は滋賀県民が大阪府民に差別されるという設定になっています。
いつの時代も人々は地域に優劣をつけようとします。聖書の時代にもそのような地域間の意識は大きくありました。そして今よりずっと差別的な取り扱いを受けました。パレスチナ地域は大きく分けて南北に3つの地域に分けられます。一番南のユダヤはイスラエルの首都エルサレム、ユダヤ神殿のある都会です。イスラエルの歴史と宗教の中でいつも中心的な役割を果たしていたのがユダヤ地方です。外国からの移住民が少なく、私達こそ純粋なユダヤ人だという意識の強い地域でした。その北側、中部にあたるのはサマリア地方です。この地域は、歴史的に外国からの侵略と他民族の移住が繰り返され、混合人種・混合文化・混合宗教の土地でした。聖書にもサマリア人が登場しますが、やや印象の悪い人という前提で書かれている箇所が多くあります。
さらにその北側、北部にあるのがガリラヤ地方です。ガリラヤもサマリア同様に、何百年も様々な国に代わる代わる支配され、その度に様々な宗教が持ち込まれました。混合人種・混合文化・混合宗教の土地でした。イエス様の時代からみると、ガリラヤがユダヤの一地方となったのは最近のことでした。ガリラヤ地域の最大の特徴は肥沃な大地だったということです。山から流れる豊富な水で農業が盛んな穀倉地帯でした。当時のパレスチナ地域の人々はアラム語という言葉を話していました。祭儀にはヘブライ語を使いましたが、日常はアラム語で会話をしました。ガリラヤの人々は訛りが強かったと言われています。ペテロもガリラヤ訛りだと言われたという箇所があります。それに対して文化的な反動もありました。差別されたこともあって、逆にユダヤ教徒の過激派も生まれるようになりました。ユダヤ教愛国主義者がガリラヤから起こることもありました。
エルサレムの人々はガリラヤに対して訛りの強い、農村地帯のド田舎という印象を持っていたでしょう。4章15節には「異邦人のガリラヤ」とあります。つまりガリラヤの人はユダヤ人ではないとさえ言われたのです。エルサレムの人がガリラヤをはっきりと見下している箇所は、ヨハネ福音書7章41節と52節です。イエスをメシアだと言う者がいるのに対して「メシアはガリラヤからでるだろうか」とあります。さらに52節にはガリラヤの出身なら預言者・メシアでないことはわかる」という言葉もあります。これが当時の人々が持っていたガリラヤに対する印象です。ガリラヤは田舎で、訛っていて、良いものは出ない場所でした。エルサレムの人々からは相当見下されてきた場所でした。イエス様はそのような場所で育ったのです。
イエス様がガリラヤで育ったことには、どんな意味があるでしょうか。今日はそのことをご一緒に見てゆきましょう。そこにはきっとクリスマスと同じくらい大きな恵み、希望があるはずです。
今日はマタイによる福音書4章12~17節をお読みいただきました。イエス様はガリラヤの中でもさらに小さな村ナザレで育ちました。そしてガリラヤ地方から東のヨルダン川周辺でヨハネの活動に加わりました。しかし徐々にヨハネとは距離を感じるようになったのでしょう。ヨハネが逮捕されたのをきっかけに、ガリラヤに戻り、イエス様の伝道が始まりました。イエス様は見下されていたガリラヤで育ち、そこから伝道を始められました。そこはエルサレムの人々からは相当見下されてきた場所でした。そこからイエス様は宣教を始めたのです。
15節を見ます。イエス様の活動は中心地エルサレムから見てはるかかなたの、異邦人の町から始まりました。16節では、ガリラヤの人々は暗闇に住む民と呼ばれています。暗闇とは、忘れられた場所です。そこに住む人々はいつも見過ごされてきました。ガリラヤはいつもだれからも注目されない、見過ごされてしまう、みんなから忘れられてしまう場所でした。イエス様はそのような場所に光を当てるために、活動を始めました。光り輝く神殿のある、エルサレムではなく、日のあたらないガリラヤから活動をはじめたのです。16節ではさらにガリラヤの人々は死の陰の地に住む民と呼ばれます。それはまさに死と隣り合わせの人を指します。辺境の地ガリラヤに住む人々は、いつも見捨てられ、見殺しにされ、見下され、様々な国々に支配されてきました。死と隣り合わせだったのです。イエス様は、その死の陰の地に住むガリラヤの人々に、光となったのです。イエス様は太陽が昇るように、夜が明ける様に、人々に現れたのです。
イエス様が見下されたガリラヤの地で宣教を始めた事、このことの意味を私たちはもう少し心に留めた方が良いかもしれません。私たちはクリスマスから1ヶ月が経ちましたが、私はイエス様が家畜小屋で生まれたのと同じくらいの意味が、イエス様がガリラヤから宣教を始めたということにあると思います。その共通点はメシアとして、とても似つかわしくない場所で人生と活動が始まるということです。イエス様はもっとも無力な存在である赤ちゃんとしてこの地上に生まれてきました。そしてイエス様はパレスチナ地域の中でもっとも田舎である、中心ではない周縁であるガリラヤから宣教を始めました。
この二つには共通していることがあるでしょう。それは明るく、光輝く場所からスタートしたのではないということ、人間の期待とは大きくかけ離れたところから始まったということです。暗い場所から始まったのです。
でも信仰とはそのようなものです。光り輝く奇跡から始まる信仰は多くありません。信仰は暗闇、良いことが一つもない、そのような時や場所から始まるものです。満たされて充実している毎日よりも、傷つき不足し、不十分さを感じる時に、場所に信仰は生まれてくるものです。そのことはみなさんもよくお分かりでしょう。
私たちは覚えておきましょう。信仰とは私たち個人個人の心の端から中心へと向かって始まってゆきます。初めから中心に生まれてくるものではなく、私たちの心の隅、私たちの内面で見落としていた部分から信仰が始まるのです。私たちが自分自身の目をむけたくない場所から、そこが光で照らされるように信仰が始まるのです。いま私たちの心で目をむけたくない部分、暗い場所はどこでしょうか?イエス様はそこを選んで来られます。その心に光を当て、そこから始めて私たちを導いてくださるのです。
私たち個人の中だけではなく、共同体の中でもそういえるかもしれません。信仰とは思いもよらない人から、場所から教わるものです。イエス様の光は苦しんでいる人、逆境の人、行きづまっている人、見下されるような人から訪れるのです。幸せそうな人から福音が広がるのではないのです。イエス様は苦労し、見下され、見向きもされない人を用いて、福音を広げるお方だとも言えるでしょう。イエス様の光が暗闇から広がるのです。
個人や共同体のなかだけではなく、バプテスト連盟という枠組みでも考えてみましょう。バプテスト連盟にもたくさんの教会がありますが、教会のある地域は偏っています。バプテスト連盟の約4割の教会は東京と福岡にあります。その中で私たちは関東の西のはての教会です。平塚教会は連盟の歴史に名前を刻んできた教会ではないかもしれません。目立たない教会です。でもきっと地理的・歴史的中心でないことは私たちの励ましになるでしょう。イエス様は中心からのみ宣教を始める方ではありません。平塚のような周縁の地からも中心へ向けて宣教をしてゆくのです。平塚教会は目立たない教会かもしれませんが、神様の働きはここから始まるのです。
そしてさらに加えるならば、イエス様は復活の後、ガリラヤでまた会おうと言われます。ガリラヤは復活のイエスと出会い、弟子たちの信仰の再スタートの場所にもなりました。失意の中で再び信仰に立つ場所になりました。信仰はガリラヤで始まり、失敗し、再びガリラヤでスタートするのです。復活のイエス様とガリラヤで出会った弟子たちは、新たな使命に生きる力を得たのです。そのようにしていつも信仰は、人々の注目の集まる中心ではなく周縁から、高みからではなく、低みからスタートするのです。
イエス様はこのように、中心からではなく忘れられた場所、目立たない場所から宣教を始めたお方です。イエス様の福音は、私たちの心の隅、暗闇から始まります。私たちが見落としている場所、人から始まります。注目されている中心から離れた場所から始まります。私たちはそのことを覚えて歩みましょう。お祈りします。