カテゴリ:礼拝メッセージ2020



2021/01/17
イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」 マタイ3章15節...
2021/01/10
「それでは、一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならないのです。」 Ⅰコリント11章17節~26節...
2021/01/03
起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデがこの子を探し出して殺そうとしている マタイ2章13節 ...
2021/01/01
あなたは主の御手の中で輝かしい冠となり、あなたの神の御手の中で王冠となる。                      イザヤ62章2節...
2020/12/27
学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。マタイによる福音書2章10節~11節...
2020/12/20
「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 マタイによる福音書11章20~21節...
2020/12/13
「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」マタイ11章3節...
2020/12/06
『人々は驚いて言った。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。」・・・このように、人々はイエスにつまずいた。』...
2020/11/29
今日から教会は「待降節(アドベント)」に入ります。イエス様が天から地上に「降」りて生まれる時を「待」つ季「節」です。しかし今年は本当に待ってばかりの1年だったと感じます。学生は学校の授業開始、修学旅行、就職。結婚式、通院、手術も待て。待て待て待て待て待て待て。待降節、また待つのですか。私たちはもう十分に待ったでしょう。...
2020/11/22
私たちの教会には生活困窮者のためのシェルターを持っています(場所は非公開)。今日出会った人をシェルターに泊めるのは、正直言って心配です。しかしそうしなければ、その方は野宿という危険な夜を過ごすことになります。本当は事情をよく聞いてからお泊めしたいのですが、疲れ果てている人に、一から事情を教えて欲しいというのは酷です。利用される方の多くは、安心するのか部屋に入ってすぐに眠ります。翌朝、着る物や食べる物を必要に応じて渡しています。 私たちがこの支援をするのは、困っている人を助けるためです。なぜ人を助けるのか、そこに目的は必要ありません。神様が造った命を守ること、助けることが目的だからです。私たちは礼拝参加などを条件にしていません。私たちは何かと引き換えに支援するではありません。 私がこの支援をするときに大事にしているのは、必ずこの方に神様の力が働いて、道が開けてゆくはずと信じて支援をするということです。多くの人は諦めや疲れを覚えてこの教会を訪ねます。でもその方の中に必ず神様の力が、必ず働くと信頼し、この支援を続けています。 きっと神様を知る方法は、聖書を読むことだけではないでしょう。そのような人との出会い、関係を通じても、神様はご自分の力を私たちにお示しになるのです。私たちはそのような人との出会いを大切にしましょう。 今日の個所にも生活困窮者が登場します。35節、ある人はこの人にできる限りの世話をしました。自らの危険を冒して助けたのです。おそらく支援を受けた人は、心身ともに休息の時間を得て、そこを旅立ちました。そして住居を提供した人は、何の見返りも求めませんでした。 私はこの物語から2つのことが大事だと思います。一つは住居を貸した側はあらゆる見返りを求めていなかったということです。もしかして助けたら、信者になってくれるかもしれないと思って助けたのではないということです。目的は助けることそのものだったのです。それは愛とも言い換えることができるでしょう。目的は愛そのものでした。愛を使って何かをしようとするのではなく、愛そのものが目的でした。 もう一つこの物語で大事なことは、私たちはどのように神様に出会うのかという問題です。私たちは聖書のみ言葉によってのみ神様と出会うわけではなく、困っている人との出会いの中で、神様に出会うのです。 この二つ、見返りを求めない事、神と出会う事は私たちのすべての活動に言えることでしょう。こひつじ食堂、こひつじひろば、サロン虹、炊き出しやバザー。教会にメリットがあるからやるわけではありません。今日の聖書の中の、助けた彼と同じです。ただ神の命のために私たちは働きます そして私たちは教会の中でこそ愛し合いましょう。痛み悲しみを共に祈りあいましょう。そこで神様との出会いが起こされるでしょう。そして必ず神様がすべての人に力を与えてくださるはずです。

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