カテゴリ:礼拝メッセージ2020



2020/10/18
今日は創立記念礼拝です。私はこの教会の10年間を「バプテストらしさ」と表現したいと思います。一番大きな出来事は信仰告白を作ったことです。バプテスト教会は各個教会がそれぞれ信仰告白を持ちます。自分たちは何を信じているのか、それを言葉にすることができたのは、教会の信仰にとって大きな礎です。さらにもう10年前、2000年からの10年は「地域とともに生きる教会」という目標が総会資料には書かれています。 この20年間共通すると思うのは、3つのつながりを大事にしたことです。ひとつ目は信仰告白など神様とのつながり、そして2つ目は祈りや信徒会、修繕など教会の中のつながり、そして3つ目はこども支援やホームレス支援など地域とのつながりです。この3つのつながりを大事にし続けたことがこの20年間だったのではないでしょうか。 私たちは様々なつながりをもつようになりました。そしてその中でも一番強いつながりは神様とのつながりです。それは私たちが一生懸命につながる以上に、神様が私たちにつながってくださいました。それが最も大きな力でした。私たちはこのつながりなしに、どのようなつながりも持てませんでした。今日はこの3つのつながりについて、聖書から聞いてゆきます。 今日の聖書個所、4節が目を止めたい個所です。神様は2つのことを言ってます。一つは私につながっていなさい。もう一つは、私はつながっているということです。神様は私たちに「つながっていなさい」と強く命令をしています。そのとおり私たちは神様になんとかつながりつづけようと歩み続けました。精一杯をささげた70年でした。一方で4節では「つながっていなさい」の後に「つながっている」と続きます。神様は私たちに、神様の側からもつながっているよと言うのです。その力はきっと、私たちからつながろうとする力よりも何倍も強いものでしょう。私たちがどんななに神様から離れようとしても、神様は強く結びついてくださるお方です。 12節を見ましょう。今度は神様と私の関係から、私たちの同士の関係へと話が変わります。愛し合いなさいと命令されるのです。私たちは神様と結びついていればそれで良いというわけではありません。神様に結びついているの者は互いに愛し合うように促されます。神様とのつながりは、他者へのつながりと広がってゆきます。教会員同士、そして地域との結びつきへと促されます。出かけて行って実を結ぶように促されるのです。 私たちの70年がまさにそうでした。神様に結ばれた70年、互いに結びついた70年、出かけて行った70年だったのではないでしょうか。 これからの教会の10年について考えます。私たちはどう神様につながりましょうか、どう神様は私たちにつながってくださるのでしょうか。私たちはどう愛し合うでしょうか。私たちはどこに出かけて行って実を結ぶのでしょうか。ともに考えたいのです。
2020/10/11
今月は世界をテーマに宣教をしています。そして今日は収穫感謝の礼拝の時を持ちます。今年度はこの収穫感謝の時を、10月16日の「世界食糧デー」に合わせて、10月第2週としました。特にこのことを覚えて礼拝しましょう。今年はアフリカでバッタが大量発生し、農作物に大きな被害を出し、1日で数万人の食料が消えたそうです。通常でも多くの人が飢え、栄養不足でいるなか、さらに2500万人が飢えに苦しんでいます。 アフリカではもともと20%の人々が栄養不足だと言われていますが、このままでは2030年には今より3割も多くの人が飢えると予測されています。飢餓は特に最も体力のない、子どもに様々な影響を与えます。成長期に必要な栄養が不足することは、一生の体格や健康、教育の機会などに影響します。 教会は毎年バザーの収益の一部を日本飢餓対策機構に寄付をしています。私たちの子ども食堂も身近な食料問題への関わりです。小さくても、私たちができることからをしたいと願っています。聖書には多くの飢餓が描かれていますが。今日はイエス様がどのように食糧問題に向き合うのかを見ます。 今日の聖書の個所、5000人の共食と呼ばれる個所です。イエス様に従う人々は、自分で食べるものを準備できない貧しい人々でした。そんな中子どもが食べ物をささげます。一番食べ物を必要とし、一番弱いはずの子どもがささげるのです。私はこのパンを受け取れることはできません。 しかしイエス様はこのパンを受け取り、感謝し、祈りました。それをみんなと分け始めたのです。5つのパンを5000人で分けることはできません。しかし不思議にも、それは全員の必要を満たすほどに増えたというのです。イエス様は不思議な力の持ち主です。小さな者の、小さな捧げものを受け、それを何倍にも、1000倍にしてくださるお方です。 私たちはあまりに多くの人々の飢えに直面した時、無力で自分一人が何かをしても、ほとんど世界は変わらないと感じてしまいます。でもそうではないと、イエス様はおっしゃっています。小さな私の、小さな捧げものが、イエス様によって、大きなものへと変えられてゆくのです。小さい者の、小さな捧げものが、世界を変えるのです。だから、どんなに私が小さくてもできることから、それに向き合いたいのです。 私たちには今、様々なグローバルな課題を抱えています。そのどれもが私たちにできることはあまりにも小さいのです。でもイエス様はそのスケールに対してあまりにも小さい行動をしっかりと受け止めて下さるお方です。そしてそれを大きくし、解決へと導いてくださるお方なのです。 世界にパンが行き渡ること、私たちが少しでも世界と分かち合うこと、必ず世界は一致できることを覚えて、私たちは歩んでゆきましょう。小さい者の小さな行動を、必ずイエス様は大きなものとして下さいます。私たちは収穫感謝の時、その恵みに感謝し、歩みだしましょう。
2020/10/04
本日はコロナの防止の観点から、パンと杯はありませんが、み言葉のみで主の晩餐を行います。主の晩餐はイエス様と一緒にした食事と、一緒に行動した日々を記念するため、思い出し、忘れないようにするために持たれます。本当はパンと杯があった方が良いのですが、今できる形で最大限の方法でイエス様を思い出すという方法をとります。そして主の晩餐は受けて終わりとすることができない礼典です。それを受けると、それを受けてどう生きるか、この1週間をどう生きるかが問われます。 今月、私たちは世界をテーマに聖書を見てゆきます。今日はキリスト教の多くの教会で教派を超えて「世界聖餐日」がもたれます。世界中のキリスト者が主の晩餐によって一致を確認し、互いの信仰を認め合う日です。 このコロナ禍の中で、世界の一致、連帯、愛の行動がより強く求められています。しかしコロナはワクチンナショナリズムの問題を突き付けています。いま世界はワクチンの争奪戦と開発競争のなかにあります。世界のワクチンの三分の二は欧米や先進国だけに使われると言われています。ワクチンについて世界はどう一致と連帯のある行動をとれるでしょうか。今、世界が愛の行動をとることを願います。コロナの時、主の晩餐をするとき、イエス様の愛の行動を思い出します。そして世界が自国優先、自分優先ではなく、一致と連帯、愛の行動をすることを願い、主の晩餐をいただきたいのです。 今日の個所をお読みしましょう。今日もイエス様は非暴力で向き合います。イエス様は38節、私を信じなくても、私の業・行いを見て信じなさいと言います。業とは奇跡だけを指す言葉ではありません。業とはイエス様の人生全体、行動全体、生きざまそのものを指します。 イエス様は行動、生き様、それは今日の個所では暴力に対して非暴力・み言葉で立ちむかうという生き様です。その私の生き様、姿、後ろ姿を見て、信じなさいというのです。ほかにも石に打たれて殺されそうになった女性に対し、イエス様の行動は、弱い立場の側に立つという生き方でした。サマリアの女性、生まれつき目の見えない人、5000人の共食はどれも神様の愛をそのまま生きる、生きざま、愛の行動でした。 私たちはイエス様の生き様、愛の行動を見て信じるようになります。もし、神様のことを信じることができないと思うのなら、ぜひイエス様の生きざま、愛の行動を見てください。そうすればきっと神様のことをわかる、そう今日の個所は語っています。私たちはイエス様の行動を見て、信じます。そしてその愛の行動を思い出すために、この主の晩餐を持ちます。この主の晩餐によって、イエス様の愛の行動を繰り返し思い出すのです。そして私たちも愛の行動へと押し出されるのです。 今日は世界で共に主の晩餐が行われます。私たちもそれにあずかり、愛に生きるものとして歩みましょう。お祈りいたします。
2020/09/27
教会と地域の結びつきは様々な形で持たれています。こひつじひろば、バザーやコンサート、クリスマス、ホームレス支援。子ども食堂も早く始めたいと思っています。私たちは地域との一体感のある教会ではないでしょうか。たくさんの方が教会を楽しみにしたり、頼ったりして下さっています。...
2020/09/20
今月は子どもというテーマで聖書に聞いています。ヨハネ福音書にはたとえ話は多くありません。ですからの今日のたとえを味わって読みましょう。...
2020/09/13
みなさん、おはようございます。今日も共に礼拝をささげることができて感謝です。子どもたちも集ってくれています。平塚教会はこどもを大切にする教会です。こどもたちの声を聴きながら、共に礼拝をしてゆきましょう。特に今月は子どもをテーマとしながら宣教をしてゆきたいと思います。...
2020/09/06
8月は共に平和を覚えてみ言葉を聞いてきました。9月は「こども」をテーマに宣教をしてゆきたいと思います。私は夏休みを頂き、裾野のキャンプ場に行ってきました。キャンプにはいろいろな道具が必要ですが、中でも照明器具、明かりが大事です。キャンプに行くと普段は気づかないこと、私たちの生活が、あふれる光に囲まれているということに気づかされます。星の明かりもそうです。不便な場所、人里離れた場所でこそ、星の明かりは、美しく見えるものです。テント中では、不便さも贅沢に感じます。暗さの中ではかえって光を敏感に感じるようになるものです。私たちは普段、たくさんの明かりに囲まれています。しかしいつもと違う環境になったとき、はじめて光の中にいたことに気づくのです。このことは私たちがいつも神様の恵みに囲まれているということと似ているのではないでしょうか。 今日の聖書個所を読みましょう。実はテントと光が重要なカギです。今日の個所は仮庵祭の最終日の出来事です。出エジプトの際に人々が仮小屋、テントで過ごしたという出来事を忘れないためのお祭りでした。この祭りでは、人々は自分の畑に仮小屋を作り、過ごしたといわれます。キャンプです。 そしてその祭りは、光の祭りでもありました。自分たちを導いてくれたのは、雲の柱、火の柱でした。その火の柱が再現されたのです。エルサレムの神殿の一番高い場所に炎がともされたのです。つまり仮庵祭とは神様の光が苦境にあった自分たちを導いたということを思い出す祭りです。仮小屋で、テントで不便な生活をする中で、光に気づいたことを記念する祭りでした。 聖書にはたびたび光という言葉が使われます。どの箇所でも大切なのは、光は神様から出ているものだということです。私たちが、自分自身で輝く、自家発電しているのではありません。私たちは神様から光を頂いて、光を放つのです。そしてそれに照らされて私たちも光となるのです。この光は普段は気づかないものでしょう。しかし、今いる場所が暗くなれば、暗い場所に行けば気づくものです。不自由さや病や苦しみの中でこそ気づくものです。 そして神様はただの光ではありません。イエス様は世の光です。世の光、それは世のための光、世界全体のための光といえるでしょう。神様は従った人にだけ光をあげる、キリスト教はそんなケチな宗教ではありません。イエス様は世の光です。世界全体をすでに照らしている光なのです。 子供というテーマでも考えます。光の子と闇の子がいるのではありません。すべての子供、すべての人間と被造物が光の子です。大事なのは、その光に照らされていると子供が自分で気づくことです。教会はそれを助ける場所です。私たちが子供を大事にする時に、自分に神様の光が当たっている子供に伝わっていくのではないでしょうか。誰かに大事されたとき、お互いに大事にしあうとき、お互いが光に照らされていることに気づくのではないでしょうか。
2020/08/29
こんな問いを受けたら皆さんはどうするでしょうか。たとえばある男があなたの家族を、殺そうとしているとします。あるいは殺されてしまいました。あなたはどうするでしょうか。私も罪人だからあなたを赦しますと言えるでしょうか。それともその男を殺すでしょうか。それとも自分がされたのと同じ様に、復讐としてこの男の家族を殺しに行くでしょうか。...
2020/08/16
 75年前、広島と長崎に核爆弾が投下されました。この核爆弾が戦争終結を早め、多くの人を救ったと考える人がいます。本土決戦になったらより多くの犠牲が生まれたはずであり、原爆がそれを止めたというのです。昭和天皇も原爆は「広島の人には気の毒だが、やむを得なかった」と言っています。...
2020/08/09
私たちは8月「平和」をテーマに礼拝をしています。今日は東アフリカにあるルワンダ共和国で和解の働きをされている佐々木和之さんの報告「ウブムエ」を元に、聖書から平和を聞いてゆきたいと思います。...

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